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ブログ移転先のお知らせ

2015/04/01 Wed 20:14

長らくお世話になったこのブログは、すでに移動しています。

新しいブログ
http://datec.wpblog.jp/

記事は更新されませんが、アクセスはあるようなのでこのまま残しておきます。
過去記事でお楽しみくださいネ!

移動に伴いこちらのコメント機能もなくしました。
何かありましたら、しげ部HPのお問合わせよりご連絡下さいませ。
よろしくお願いします。
問合せ先
http://shigebu.minibird.jp/kacchu-info.html
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お知らせ
ちょっとあることでのテスト投稿

戦国時代にいた、粕谷源次郎という男の話をします。

彼は酒田三十六人衆という、豪商の頭であった。

当時は商人といえども同時に武士であり、そして同時に氏神を祀る神社の神主でもあったという。さらにある程度の自治権もあったようだ。堺も商人が武士団を組んでいた。


さてさて、粕谷源次郎は機転のきく人物で、まだ酒田が上杉領の時にある諍いが起こったり、しかし彼の機転により事態は収集した。

その事の顛末を石田三成に訴えて、秀吉の知るところとなり、ついには諍いで損失した米を上杉の重臣・直江兼続に弁償させたという。
さらには秀吉からその手腕を買われその後は海上警備を仰せつかったという!

なんとも痛快ではないですか!

歴史上での文献には名も知られていない人物が秀吉を動かし、兼続に弁償をさせた。

ぐぐってみると最上川の水路を整備した人物としてわずかに紹介されているだけですが、
酒田市の資料館の所蔵の地方史に上記の話が載っていました。

粕谷源次郎

地元の図書にしか出てこない面白いエピソードはたくさんあるんだろうなあ・・・・。


歴史

ブログを移動します

2014/11/21 Fri 11:11

長らくお世話になったこのブログは、お引越しします。

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記事は更新されませんが、このまま残しておきます。
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未分類
先日京都に行ってきました。

そこで、西本願寺にある「飛雲閣」を見てきたんですが、これがまた素晴らしいの一言で、
とはいえ撮影禁止で写真もありませんが、とにかく見た目が非常によろしいのです。

秀吉の幻の城、聚楽第から移築されたという話が普及してますが、


違いました。

江戸時代に建てたという記録が西本願寺から見つかっているにもかかわらず、聚楽第説を捨てないのは、それ程にこの建物が魅力的なせいだと、「建築と庭」という書籍に載っていました。

おやあ?
西本願寺のガイドにはそのようなことは・・・。
夢を見させているのだろうか。
しかし建物の魅力があせる理由にはなりません。


この「建築と庭」、建築事務所に遊びに行って発見して一目惚れして、借りてしまいました。心よく貸していただき、感謝感謝です!

京都メインの歴史的建造物の間取り図がズラズラと載っているのです。
なんという天国・・・。

飛雲閣の間取りもありました。ちらりとご紹介。
飛雲閣間取り

京都御所の図面もあります。
めちゃめちゃ広いです。
アマゾンで買えます。

は~。
この本片手にもっかい京都行きたい・・・。


そして教えてもらったもう1冊
「大厦成る―重源‐東大寺再建物語」
アマゾンで買えます 。

源平合戦のさなか、東大寺大仏殿を再建させるというお話。

巨大建築物を人の手で建てる風景が見えるかもしれないです。



余談ですが、遊びに行った建築事務所は横浜にある築80年のビルディングで、入るとほのかにパリの建物のにおいがしました。建材の匂いなんだろうか??

天井高が4m!
古民家の移築保存は数あれど、ビルの移築保存はまだ聞いたことがない。
解体が出来ないので仕方ないが、古いビルもまた、いつかは消えていくのかあ・・・
100年持たない現代建築。


フィレンツェでは築200年でも新築のたぐいに入るというのに・・・。
世界中の巨大建築もまた、人に手によるのだ。
書籍

伊達メモ

2014/10/16 Thu 02:29

図書館で郷土出版社の福島県の歴史シリーズから拾い読みしてきました。


メモ
大森惣社八幡宮は天文21年、伊達成実が信夫郡51郷の惣社とした

ええ!??
実元・・・ですよねえ??


メモ
天正14年二本松城を落とした政宗は家臣の所替えをした。
何かと気遣いのある成実を大森からだし、こころやすい片倉景綱を大森に入れたことで、これ以降の政宗の出撃には大森城が拠点とされた。

う、うん。
成実が大森城を去ってからの政宗の大森城の使用頻度は格段に上がっています。

やっぱり成実は左遷されたのか!??
二本松での成実の仕事は、逃げ出した農夫達をかき集める所から始まり、
二本松城には成実が焼けた残骸を捨てたゴミ穴があるという。
一般的には二本松は恩賞というが、どうも違和感があるのです。


メモ
伊達実元の墓の本来の墓標は松の木であったと伝えられる。厚く苔むした切り株が実元がここに眠ると伝える。

うおお!木がお墓説、立証でいいんじゃないかな!


メモ
須賀川城を攻め戦いが終わった3日後、政宗は見せしめとして16歳で初陣した天仙丸(須田広秀)を磔にし、鉄砲で撃ち殺した。そののち、この場所は用水路となり、稚児ヶ池と呼ばれ更に筑後池と名前が変わって今に至る。

やはり戦争はいけません。



色々あるけど、まずはこんなところで!
図説だから文字情報が簡潔で読みやすい。
東京都立図書館にあったよ!
図書館っていいよねえ・・・。
伊達家の歴史
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