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伊達メモ

2014/10/16 Thu 02:29

図書館で郷土出版社の福島県の歴史シリーズから拾い読みしてきました。


メモ
大森惣社八幡宮は天文21年、伊達成実が信夫郡51郷の惣社とした

ええ!??
実元・・・ですよねえ??


メモ
天正14年二本松城を落とした政宗は家臣の所替えをした。
何かと気遣いのある成実を大森からだし、こころやすい片倉景綱を大森に入れたことで、これ以降の政宗の出撃には大森城が拠点とされた。

う、うん。
成実が大森城を去ってからの政宗の大森城の使用頻度は格段に上がっています。

やっぱり成実は左遷されたのか!??
二本松での成実の仕事は、逃げ出した農夫達をかき集める所から始まり、
二本松城には成実が焼けた残骸を捨てたゴミ穴があるという。
一般的には二本松は恩賞というが、どうも違和感があるのです。


メモ
伊達実元の墓の本来の墓標は松の木であったと伝えられる。厚く苔むした切り株が実元がここに眠ると伝える。

うおお!木がお墓説、立証でいいんじゃないかな!


メモ
須賀川城を攻め戦いが終わった3日後、政宗は見せしめとして16歳で初陣した天仙丸(須田広秀)を磔にし、鉄砲で撃ち殺した。そののち、この場所は用水路となり、稚児ヶ池と呼ばれ更に筑後池と名前が変わって今に至る。

やはり戦争はいけません。



色々あるけど、まずはこんなところで!
図説だから文字情報が簡潔で読みやすい。
東京都立図書館にあったよ!
図書館っていいよねえ・・・。
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伊達家の歴史

基本に帰る

2014/07/29 Tue 01:40

政宗を研究するなら、小林清治です。

なんという睡眠導入剤。
小林清治

ZZZZZZZ


いや、しかし、一人の人物を調べあげるために小林先生が手に取り読んだ書物はいったいいかほどなのでしょうか。
そして先生の頭のなかにあった政宗や伊達家の映像ってどんなんだったんだろう。


部長はやっぱりビジュアルとして捉えたいから、当時の街の様子とか知りたいのです。
「伊達絵巻」ってないのかしら。「伊達巻」ならあるけど。
伊達家の歴史

伊達家と金山

2014/06/27 Fri 18:47

伊達家のいるところ、金山あり、と、以前にも書きました。

なんのことはない、実元・ 成実がいた大森城もそのものが金山じゃあないですか。
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/oomori/oomori.html

信夫山も金が採れた。

とにかく、鉱山は伊達家の生命線だったことは間違いなさそうです。



1つ前の記事で上杉だった土地を徳川の普請によって町を作り替えた話をしましたが、
もし、米沢を秀吉や家康の命で誰かの城を政宗が普請せざるを得ないとしたら?

政宗は城は建てる一方で、人足をかつての金鉱へ忍び込ませてこっそり金を採掘しているんじゃないかと考えてみました。
源頼朝は黄金郷・奥州平泉の藤原氏を滅ぼして、伊達家含む家臣を奥州へ送り込んだ後、金を独り占めしようという計画はなかったんでしょうか。義経は奥州の金を利用して、独自に黄金国家を立ち上げる準備はなかったんでしょうか。

戦争の原因は今も昔もおかねがらみですよね。ふう・・・。
伊達家の歴史

金山の鉄山

2014/02/09 Sun 17:30

伊達家と金山(金が取れる山の意味)というか、鉱山はかなり密着していると思います。

他の領主もそうなのかもしれないですが、東北の稲作が厳しい産地において、昔から繁栄している理由はやはり「金」。


丸森の金山城は相馬との争いで領地が伊達と相馬をいったりきたり。
金山城-2

金山城-1


金山城というからには、「鉱山」のはずです。
と思ってぐぐってみたら出ました。

http://zuiunzi.net/igu/bsrisuto1/3.html

金山の語源で、蛭田鉄山という鉄の産地であり、武田信玄の兜もここの鉄で作ったという話があるんだそうです。

そしてこの辺りにはこんなにもユニークな巨石があったんですね。
知らなかった・・・!

金山城-3
そう言われると、金山城のてっぺんにもデカイ石が。

石は城作りにも欠かせないし、鉄は採れるし、こりゃ大事な場所だ!
欲しがる訳が、あるようです。

金山城-4

伊達家の歴史

名前の色々

2014/02/09 Sun 01:56

先日米沢の上杉博物館で伊達輝宗の手紙を見ました。

自分のことを

藤原輝宗

と、称していました。



解説があるから伊達輝宗で間違いないとわかるのですが
もし、名前だけだと輝宗だが藤原さんというオタクにも輝宗さんが居たのかしらと思ってしまいます。


伊達藤次郎政宗
伊達藤五郎成実

というのも、当時は使っていなかったらしく、
伊達次郎政宗
伊達五郎成実

が、正解だそうです。

藤原家である伊達家を強調して、あとから付けたというのです。
http://blog.kahoku.co.jp/dokuganryu-masamune/2013/12/36-1.html

言われてみれば、確かに政宗の、成実への手紙は「五郎殿」です。
ありゃりゃ~ん!
部長はめいっぱい、「藤五郎」を使っちゃいました!



兎にも角にも、政宗もいろんな呼ばれ方をされているしで
文書の名前が色々で解説なしでは誰が誰だかわかんないのでした。
伊達家の歴史
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