スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
先日のだて部での話しです。

成実は秀吉からどう思われていたのか。
これはずっと気になっていたことであります。


秀吉による奥州仕置のさいに、
石川昭光は政宗支配下にあったのに、大名とみなして所領を召し上げられている。
では成実は?

二本松城主ではあるが、秀吉目線からは「アレは大名にあらず」
政宗の配下の一人ということで、政宗の領地として二本松も召し上げられます。


とくに成実が独立大名であったという記録や描き方はどこにもないんですが、
小十郎うあ綱元と同じラインの立ち位置ではない。
が、大名でもない。
という、非常に位置づけしづらい人物です。


政宗からしてみれば、手紙から見て取れるように、
小十郎に対しては仮名書で、名前も「片小」略するなど身内のような扱いであるのに対し、
成実には漢文で、必ず「五郎殿」というふうに「殿」を付けて、礼を尽くしている。
単なる家臣でないことはこの時点では明確だが、

だが。


留守政景や国分盛重のように明確な領主ではない。


だが。


代々伊達家の兄弟は伊達の苗字を与えず、遠くへと切り離したのだが、
すったもんだの実元だけは、なぜか伊達性のまま伊達家に仕えることになってしまうという、ややこしさよ。
これも単純に家臣ではなく、自由な軍事行動が取れることから、独立した地方領主の体でもあって。

その息子も伊達性のまま、大森城に居るんです。



そして今までの定説を、ひっくり返される事がありました。
それは、秀吉が小十郎に三春3万石を与えて、政宗から小十郎を引き剥がして伊達家の弱体化を測った、という話がなんとなく流れています。

そもそもこれは大きな間違いだというのです。

伊達家の弱体化を測るのではなく、
能力のある小十郎にきちんとした地位を与えて、屋敷を与えて、体裁を整えさせて後、軍役を取る構えだったというのです。


なんと!



そして、成実には声がかかっていない。


しげちゃんは、秀吉にしてみればいらんかったんかい!!!!




そして出奔。



この出奔他家に比べたらヌルヌルで、「成実、部活やめたってよ」程度の事件かも、という。
映画「霧島、部活やめるってよ」は名作です。
神木隆之介がかわいくてねえ・・・。







成実は綱元のように伊達家の政治には関わっていないようだし、
かといって政宗からしてみれば重要な人物であることに生涯変わりはないようだし。

とにかく、今言われている歴史の事件の理由を全て排除して、
起こったことと、当時の政治状況を照らしあわせて考えてみるとなにか見えるのか、
節穴部長が全て見過ごすのか、
そもそも政治状況が勉強できるのかが一番の課題。

立派な本を借りると眠たくなって、寝てしまう部長です。






スポンサーサイト
成実

成実の前立ては何の毛虫?

2014/09/05 Fri 15:20

しげ部なので、たまには伊達成実に関することも書かないと!!!

ちょいちょい触れてはいますが、伊達成実のカブトの前立てに関する話です。

今までわかっていることをまとめると、

・兜の前立ては「毛虫」

・北海道の伊達市開拓記念館にある(伝)伊達成実甲冑の前立ては大きくて黒くて熊の毛で出来ているので手触りはごつい。製作時期は不明。昭和33年に寄贈された時の状態を保っているに過ぎない。

・肖像画の毛虫はよく見ると縞模様になっているが、没後数十年して書かれたものと推定、当時のものかは甲冑全体の絵を見ると、当時の「甲冑絵」としての様式が多く見られるので、実物の甲冑を写しとったとは言いがたい。が、それでも前立てにあの大きさの毛虫をリアルに描いている。
【訂正】
明治の作品だということを教えていただきました。ありがとうございます。

・亘理町の御霊屋の木像も、肖像画と同様、製作時期も死後数十年が経過しており、修復も重ねられ、オリジナルの色が失われている可能性も大きいが、毛虫の前立てが付いている。

・未確認情報だが、亘理伊達家に由来する小さい毛虫の前立てが付いた兜のモノクロ写真を見たことがあるという知り合いの話。

以上から推測しても、おそらく、成実が持っていた兜の中に、ひとつくらいは毛虫の前立てをつけたものは存在していたのだろう。


では何の毛虫か。
蛾であろうと思うが。
何の蛾か。

先ほど、こちらのページ
河北新報かほピョンこども新聞連載・独眼竜政宗
第55話についてのページで語られている蚕の話を読んで、

伊達家の財産であった蚕の毛虫というのはどうだろうと考えてみました。



蚕の毛虫は毛蚕(けご)とよばれ、ちっちゃいけど毛虫です。
写真はwikiより
480px-Bombyx_mori_Caterpillar_02.jpg

わかりやすい写真が乗っているブログ「わた部のお蚕日記」があったので、ご確認を!





似てるといえば似ている?
伊達成実木像
木像。 毛虫部分をイラストで描くと、毛が3本づつ生えている。
伊達成実兜前立て


伊達成実肖像画2
肖像画

成実兜
(伝)成実公所用甲冑  
いや、でかいっす!
実戦では使っていないと思われます。
このバランスでは前にずれちゃうよ。



さて、なんの毛虫だろう。昆虫博士に聞けばわかるのかなあ。
蚕の毛虫はすぐにモスラになるから多分違うだろうと言うコメントも頂きました。

もっとくろぐろとした毛虫なのかしら。
これからも妙な検証は続けていきます。

伊達成実兜前立て1
ある日、石につまずいて兜に毛虫がひっついて以来、友だちになったというのはどうだろう。


そして描いたあとで思い出した、ケムンパスの歌。
悲哀に満ちた歌でやんす。
まるで戦場に駆り出された戦意が持てない農兵のようでやんす・・・。
成実
いや~、気がつけば6月も終わりじゃあないですかっっっ!

さてさて。
6月4日にネットTVにださせていただき、好き勝手成実の話をしてきました。

してきたつもりでした。



まあ、見てくださいな。


・・・。





見ましたか?
見ましたね。


気がつけば実元達の話でした。



いや!
成実を語る上では、パパ実元を知らないとイカンのです!
次こそは成実の話をだねぇ・・・むにゃむにゃむにゃ。



舞台裏はといえば、
まず、スタジをに向かうために駅へ行ったら財布を忘れてサザエさん。
取りに戻って待ち合わせに遅刻して、無駄話をして着替えてたらもう本番だ!
本場5,4,とカウントダウンが始まってました。

そういうわけで髪の毛がアホ毛のように立っています。

自分で見て、自分のセリフに笑いました。


アホですね。
色々間違ったことも喋ってると思うのですが、
これはしげ部部長の物語です。
講談です。


講談したいなあ。腹筋と声の出し方を鍛えないと無理そうだ。
どうしよう、人生後半に来てやりたいことが増えるばかりだ。
成実

伊達成実の傅役その2

2014/03/16 Sun 00:35

前回紹介した、成実の傅役、、阿部淡路は奥州の人ではありません。

政宗の傅役はご近所さんですが、ずいぶん大きくなってからつけた傅役です。
教師には全国を回った虎哉和尚がいます。


さて。


先日此のような動画がFacebookに上がってきており、非常に面白かったのです。


何喋ってるのか全くわかりません!!!
想像以上の外国語です。


方言は今でこそ薄まってしまったけれど、戦国当時の言葉は正に外国語ではなかったのかと想像してみたわけです。
ということは、政宗たちが何をしゃべっているのか、京都の人たちにはわからなかったと思うのです。


そこで、地方の有力な子どもたちには「京都語」を教える必要があったのではないかと考えました。


講師は外国人のネイティブでないと困るわけです。
実元も外国人を探していた所、全国を歩きまわる徳川家家臣と何かの形で紹介があって、雇い入れたのではないでしょうか。


時宗丸の傅役

政宗にとって、スペイン語などヘでもなかったと思われます。



そして、
全国のお国言葉を学ばねばならぬ忍者はすごいのではないかと思いました。


ところで、当時の京都語、ってどんなだろう・・・。
というか、共通言語は京都語でいいのかな??
手紙は訛っていないけど・・・。文字と言葉は別物。謎だ~~。
成実

伊達成実の出奔先?

2014/03/12 Wed 21:38

伊達成実が出奔した先と思われる伊勢原は上粕屋へ行ってみました。

なんら確証もありません。
けど、行ってみました。

今回はしげ好きな友達と一緒です!わーい!



まずは上粕屋からさらに奥に位置する、霊験あらたかな山として昔から栄えていたという、大山阿夫利神社へ行きました。
栄えていたなら、成実も当然訪れたに違いない。

何ら確証もないけど、行ってみました。



伊勢原からバスに乗ってケーブルカーの駅終点で降りて、さて、ケーブルカーは・・・。

阿夫利神社3


ええと・・・。


ものすごい石段を登って登って15分、ようやくケーブルカーの駅です。
RIMG2982.jpg



乗ればあっという間に着きました。

阿夫利神社5

阿夫利神社2

しかしこれは下社。
本殿は山頂に。
登山装備必須で1時間半なり。

無論パスです。
というか、先月の雪で橋が崩落して行けないのだそうです。

入り口だけ。
阿夫利神社4

気持ちのいい場所です。



見渡せる海と小田原方面。
阿夫利神社1


成実もこの景色を見たに違いない。
ということにします。



さて、下山。

再びケーブルカーに乗って駅行のバスで15分ほどの道灌塚で降りました。

そう、地名は上粕屋。推定成実が出奔時代にいたとおぼしき所。


蟠龍山洞昌院という、古いお寺さんがあります。
そしてここには太田道灌のお墓があるのです。


太田道灌と伊達成実は、とりあえず関係ないのですが、
出奔していた時にお寺さんにいたという噂の成実です。

成実の御霊屋がある大雄寺は曹洞宗。成実がパパ実元のお墓を建てたのも曹洞宗陽林寺。
ならばと上粕屋の成実が生きていた頃にはあった曹洞宗のお寺さんを調べると、蟠龍山洞昌院ということになりました。


推定、ここにお世話になっていてもいいんじゃないかと勝手に決めたのです。


洞昌院1
蟠龍山洞昌院


しかし、成実の師匠は時宗専念寺のオショウさん。

幼名は時宗丸だし、ひょっとしたら時宗なの??


宗派がいまいちよくわかりません・・・。

もちろん宗派と世話になるお寺さんが同じとは限りません。
他からのヒントがない以上、考え方の一つとして取り入れたのです。



まあいいです。
いたとしましょう。
近くには上粕屋神社があり、不思議な空気がありました。
上粕屋神社1

上粕屋神社4

神社の裏手は崖っぷち。
なんということでしょう。
城があってもいいじゃないか的な地形です。


この辺りから、大山への参道の鳥居があり、当時も修験道の行き来が激しかったと想像できます。
バスから見えた、何かの発掘作業現場。
ググったらこれでした。
http://kaf.or.jp/%E4%B8%8A%E7%B2%95%E5%B1%8B%E3%83%BB%E7%9F%B3%E5%80%89%E4%B8%AD%E9%81%BA%E8%B7%A1%E8%A6%8B%E5%AD%A6%E4%BC%9A/
江戸時代の大山参道が見つかった。
江戸時代に大いに流行った大山講。


それ以前もやっぱり、人の出入りは多かったと思われるんですが、いかがかしら。


成実がこの近辺に住んでいたとするならば、
全国から集まる修験道者(忍者)から情報が入るわけです。

情報収集にはもってこいな場所だったというわけです。




大山の麓の糟谷で、全国の動向を見ていた成実、という像が浮かんできました。

もちろん、何の確証もありません。
一緒に歩いたしげ友達も「ここでいいじゃん」という結論に。

ちなみに伊勢原には上粕屋と下糟屋がありますが
江戸や明治の地図では「上糟谷」となっていたので、糟谷とは上粕屋、という単純な見方で決め打ちです。


以上ざっくりし過ぎな現地調査。
後は本格的な文献を追っている方々に任せます!





上粕屋神社の隣の敷地。
上粕屋神社3
ここに成実の屋敷があったらさぞかし似合うと思ったのでした、まる。


「伊勢原」は伊達勢がいた原っぱ、ということに決めた部長です。
成実
 | ホーム | Next »

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。