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前回の大学つながりで。

伊達関連ではありませんが。




ご存じの方も多いと思いますが
明治大学に、博物館があります。

で、興味があるのは当然刑事部門です。
近ければ近いほど、
いつでも行けるという油断から
10年以上、いつか行こうと放置中の
博物館です。

なんとなく急に思い出したので
HPに飛んでみたらこんなものがありました。

http://www.meiji.ac.jp/museum/criminal/keijizufu/


江戸の刑罰です。

なぜか、磔獄門とかに
人は惹かれるのです。

ソウ言えばずっと前に
日光江戸村に行った時も
獄門専門蝋人形館に入りました。



ついでに言えば、
蝋人形館も、死ぬほど愛しています。

マダムタッソー始め、結構行きました。

ヨーロッパの地方のマイナーな博物館も
抑える部長です。


ジブラルタルの蝋人形1

ジブラルタルの蝋人形2

これは
海の向こうにアフリカ大陸が見えるヨーロッパの端っこ、イギリス領のジブラルタルの
名前もわからない、人もいない、
入り口チケット売り場にも人の気配がない、すたれきった
蝋人形です。
カメラの日付に、自分の歴史を感じます・・・。



無論、他に人はいません。

行く先々に人がいないのは
福島に限ったことではないのです・・・。
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博物館
成実はモノを書くのが好きだったんでしょうか。

色々書物を残しています。
ありがとう!


いま、誰でも閲覧できるのもとして
京都大学のデータベースに
伊達日記があります。


数ページ読んで
うむ!
時間のあるときに
じっくり読もう!


と、サイトを閉じました・・・。



しかし、読めます。
バカにでも読めます。
のたくった筆文字ではないので、素人でもだいたいは判別できます。


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/t178/image/1/t178s0001.html

リンクが切れて飛ばない方は、

京都大学附属図書館所蔵 谷村文庫 『伊達日記』で、
検索してみてください。全3巻です。

他にも大学の電子図書に
貴重な文献がある場合があります。

本来関係者しか見ることのなかったであろう書物が
こんなC級歴史好きにもよむことができるなんで・・・。


大学!いいぞ!!
こんなだったら、税金払う価値はある!!


ところで伊達日記の解説、というか備考欄に
「内容:伊達政宗の事蹟を実見のまま記したるもの」
とあるのが、
妙にいいです。
伊達成実の著
資福寺跡です。

資福寺4


伊達輝宗のお墓と、輝宗の墓前で自刃し、殉死した遠藤基信のお墓があります。

九代の政宗と、その奥さんのお墓もあります。
山形県東置賜郡高畠町竹森野手倉にも
九代政宗夫婦のお墓があるそうです。

伊達輝宗の墓

遠藤基信の墓

九代伊達政宗の墓

九大政宗の室の墓

で、このちょっと奥に、
資福寺の跡があります。

資福寺3

資福寺1
****禅師大*尚
資福寺*大居士塔と書かれています。

資福寺2クリックで拡大



ところで虎哉和尚、どれだけ信頼されてたのでしょうか。
梵天丸、時宗丸初め家臣から乳母からみんなここで教育されたそうです。

どんな教育だったんでしょうか。


伊達を追いかければ追いかけるほど、
伊達一家に見えてきます。
㋳です。
若頭小十郎を筆頭に
一七代目は高校生の若き頭、政宗が腹心成実とともに
次々と近隣㋳を傘下におさめると考えると
何もかもがしっくりするのは
部長だけでしょうか。


漫画の読み過ぎでしょうか。

虎哉和尚の教育




で。
資福寺6


どう見ても真新しい旗が、たってます。
ここを調べるためあちこちのブログを回りましたが
こんな旗はたってませんでした。

http://takahata.info/?p=list&c=650
高畠町は伊達家関連に本腰を入れたようです。


いいことです。きらり!


伊達まんじゅうでも作って売るといいと思うです。
部長のような
伊達ホイホイが食いつきます。

ナンだったら伊達まんじゅうの箱、デザインします。
本気です。
いかがでしょうか、高畠町のみなさま・・・。







旅行記
部長です。

伊達の歴史は、山形県と福島県にあります。
王道仙台は、部長的には、パスです。

天邪鬼なのです。



というわけで、
山形は高畠町をご紹介します。


ところで、高畠町は伊達政宗の誕生の地、と言われています。
というか、地元の民に、言われました。

部長「へえ、そういう説かあるんですか~」
地元民「説じゃあなくて、そうなんだよっ」
部長「・・・・え?」
地元民「資福寺跡の側にある熊野神社って所が、政宗が生まれた屋敷の跡地の一部なんだよ」

行くしかありません。

資福寺は行くつもりだったので、
そのそばにある熊野神社もついでに目指します。


というか、資福寺の場所がわかりません。



他所様のいくつものブログにも、
ばしょがわからないと、書いてあった通り、わかりません。


地図はあっても、実際行くと
道が狭くて全くわからないのです。


で、ここじゃないかといった所が
熊野神社でした。


正確には、夏刈熊野神社です。

夏刈城1
田んぼの真中に、ボソッとあります。

夏刈城2

夏刈熊野神社2

夏刈熊野神社1
あまり手入れされていない感じです。
特に伊達関連のなにがしはありませんでした、というか、
あまり知識がないので見落としてるだけかもしれません。


グーグル先生に聞いてみると、政宗館、あるいは夏刈城と呼ばれた場所で、
幼少の梵天丸と時宗丸、ついでに小十郎が
資福寺で虎哉和尚のもと
勉学に励んでいた時、合宿所になっていたのだとか、なんだとか。



たしかにここから米沢は、通うには遠すぎます。
小十郎も学んでいたということは、
時宗丸、梵天丸が8~10歳くらいまでいたのでしょうか??


資福寺5クリックで拡大

資福寺の案内板には
それと思しき3人がいます。


政宗はわかります。眼帯です。小十郎もわかります。笛吹いてます。
・・・。
スルと残りの一人が、成実、でしょうか??
デカイです。小十郎よりもでかいです。
器がでかいと言いたいのですね。

部長にはわかりました、ええ、わかりましたとも。



・・・話を戻します。

イメージだと、
5,6歳の時宗丸と梵天丸が
半分居眠りしながら学んだように思えますが・・・。

それとも、後になって、小十郎も参加したのか、
もしくは、
傅役として正式に任命されたのが小十郎19歳の時で
それ以前も喜多と一緒に伊達家に出入りしていたのかもしれないです。


古文書を漁ればちゃんと日付がわかるのかも、ですね。
古文書が読めればのお話ですが・・・・。



資福寺の記事はまた後日。


夏刈城と資福寺跡の地図
わかりにくいよ!!目印の酒造所は、稼動してないっぽいです。(してたら土下座!!)しかもここを目指してはいけません!
川沿いの散歩道を歩いたほうが発見しやすいかも。

より大きな地図で 米沢近辺をめぐる伊達な旅 を表示



今回は、レンタカーで回りました。
運転手は前回紹介した方とは別のしげ部部員、です。ありがとうです!
レンタカーを返す時間と、次の目的地へ行く電車の時間が迫ったので
部長は部員を見捨てて、さっさと電車に飛び乗りました。

その後、部員は無事(?)車を返して、次のデンシャで合流しました。

さあ、君もしげ部に入部してひどい目に合いませんか??
旅行記

政宗、骨折スルの巻

2011/07/23 Sat 15:01

政宗23歳の時、落馬して足を骨折するのですが、
イメージだと
野山を甲冑姿で

どどどどっ

とかけめぐって、
ふいに落馬したのかと思ってました。


が、落っこちた場所は米沢の谷地小路、というところで
ぐぐってみると、どうやら米沢城のすぐご近所のようです。


「馬から飛び降りて骨折した」



らしいです。

自分とこの城下町でなにしたんですか??

バカなんですか??






以下、想像。
久しぶりに米沢に戻った政宗、
酔った勢いで。

hp5.jpg
hp4.jpg





それとも、場所が違うのでしょうか。
どなたかごぞんじないですか~??



仙台宝文堂・昭和55年発行
「政宗に睨まれた二人の老将」紫桃正隆
政宗に睨まれた二人の老将
この本には、大崎葛西のことが
詳しいです。バカ宗のはなしはありません。


政宗の歴史
まあ、なんともうしましょうか、
ただの、小山です。
全景の写真撮るの忘れました。

でもまあ、小山です。

成実が18歳くらいの時、ほんのちょっとの期間、大内氏の小手森あたりを攻めたどさくさで
ぶんどって住まいにしていた城、渋川城です。

渋川城は田子屋敷と呼ばれていたとかいないとか。

トピックスとしては、
政宗と成実が輝宗の弔い合戦をしたその正月に
渋川城にいた成実のもとに、畠山の残党がせめて来るのですが
成実とその部下で
追い払ったという場所です。
http://www2.ocn.ne.jp/~you/CCP042.html


また、最前線の武器庫として使っていたのでしょうか。
弾薬が燃えて火事ボーボーになり、
その時のやけどで、成実の右手の指がひっついてしまったとか。

なんだとか。

・・・・。


全て他の方の(以下略)



さて。行ってみました。

奥州街道のすぐ東にあるこんもりした山です。
見る人が見れば、
堀の跡とか、
わかるらしいんですが・・・・。

部長には何もわかりません。

どう見てもただの薮です。
獣道はありましたが、頂上まで登る勇気はありませんでした。。。。

渋川あと4
ザ・獣道です。

ぷう~~ん、ぷ~んと蚊だの、虫だの、蜂だのが今の城主となっているようで、はい。

・・・

いや、熊が主かも知れません。

というか、います。



渋川あと2
絶対いる。


渋川あと5
斜面。土塁のあと、とかではないと思われる。ただの斜面ということにして、あっという間に下山。


渋川城の目印として、
県道147号線沿いに朽ち果てそうな看板があります。
北に向かって右手に見えます。
見落とさなければ、あっさり攻略できる場所です。

田小屋館看板クリックで拡大


ぜひ、行って、
やぶ蚊に追われてください。


大きな地図で見る





hp2.jpg
頂上に行けば、この方たちに会えたのかもしれません。
旅行記
しげ部部長です。

熱中症になりそうな暑さの中、
行きました


福島は五百人川駅と本宮駅の中間、
瀬戸川陣あと


成実が人取橋の時に、陣を敷いたところであり、
ここを突破されると、伊達軍総崩れの危機に
成実が踏ん張った場所、

・・・
らしいですが
肝心の本人著の「政宗記」には、瀬戸川のことには
ふれていない、らしいです。

読んだことないので、
他のブログとかホームページからの情報によります。(ありがたく)


なんでも、この瀬戸川陣よりももうちょっと東側の
糠塚、というところ、らしい、です。糠塚古墳というところがあります。
そこではないにせよ、この辺りにいたってことで。


しかしそんなことはどうでもいいのです。
成実の名前が刻まれている
数少ない貴重な碑です。

行くに決まっています。



実に分かりづらい場所で、
住宅街の中の、ちっちゃい公園に突然あります。

かってに「しげ公園」と、命名します。

しげ公園1

しげ公園2

しげ公園3
魅惑の遊具と、やすらぎのベンチが、皆様のお越しを
歓迎しております。

RIMG3548.jpgクリック拡大で読んでね。


ちなみに瀬戸川
瀬戸川
・・・小川です。


大きな地図で見る


歴史の話はまたのちほど

今回は友人に車で連れていってもらいました。
ありがとう!
旅行記
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