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戦国時代の城

2011/09/30 Fri 20:20

知ってるようで知らなかった戦国の城

という、キャッチコピーにほだされて、買いました。

top_image_4.jpg


まさにそのとおりでして、
城といえばコレ

城ではない

いわゆる全国各地に残っている名所の、天守閣を城と思い込み、
この頂上に殿様が扇子を持って、鎮座しているんだと
思ってました。


だが大間違いでした。


城

城、とはこういうものでした。


ではやはり殿様は、この山のてっぺんに暮らしていたのかとおもいきや
ちがいました。


てっぺんにある小屋は、戦闘時にこもる程度のもので
簡素な作りで、
殿様も家臣も山の麓の屋敷で暮らしていたようです。


そもそも「城」は、建物ではなく、
敵の侵入を防ぐために木を伐採して禿山にし、土を掘ったり、切り取ったりと、「工夫された山」と、
捉えたほうが良さそうであり、
いつでも捨てられるような、ほったて小屋でしかなかったようです。



切り崩した山である以上、ほおっておけば、雨風で崩れます。
で、村人は年貢以外にも、義務として定期的に土木工事をするはめに・・・。


信長が、恒久的に使える高層建築物を城として作って、更にはそこで暮らしていたので、
人々の城のイメージを決定させたのかもしれないです。




ところで、若い頃の政宗や成実がしょっちゅう城を転々と変えてましたが
大事な家宝とか、持ち運んでいたんでしょうかね?

この時代の伊達家は基本、侵略されたり焼き討ちにあうなどの憂き目は見ていないので
仙台藩が出来るまでは、米沢の本拠地に、置きっぱなしでよかったのかも。


米沢を出て、二本松近辺から会津進行まで、
思ったより質素な場所で暮らしていたんですかね~。
いろいろ考えると、
わからない事だらけです。

hp19.jpg
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歴史

2011/09/28 Wed 22:58

図書館で借りてきた本はなんか思ってたのと
ちがいました・・。

よく見たら既にタイトルからして
ちがいました。


改めて目的の本のタイトルを入力いても
なかったです。



借りた本は、もちろんん
いろんな作品が載っているんですが
めざすは人形劇の人形。

今はそれ以外には全く心が振れません。


ところで、NHK人形劇の真田十勇士の猿飛佐助は
武田信玄の孫、というせっていだったらしいです。


武田家の血筋を守るために
懐妊中の武田勝頼の夫人を助け出し、
生まれた子供が猿飛佐助となり、
真田幸村に仕える

とあります。


・・・。ほほう。



まあ、いずれにせよ、
もう見られない幻の作品です。

心のなかで、話を練りあげて(でっちあげて)愉しむしかなさそうです。




これから作るのは伊達ですし。
未分類

真田十勇士

2011/09/23 Fri 20:35

どうしても、ジュサブローの真田十勇士が見たくて
色々ググっても、
ない。

絶版になった写真集はあるのですが、
密林で4万円越えです。


ご本人のグログに数点写真があるので、
そこで我慢しました。


が。



不意に思い立ち、


そうだ、本は図書館に行けばあるじゃあないか!




早速地元の図書館の検索で
探しました。



。。。。



ありました。

嘘だろう、と思いました。
でも、ありました。
しかも所蔵している図書館が、いつも行く
凄い小さい分館です。

凄いよ、図書館!
今までも政宗関連で、結構コアな書籍を借りたけれど、
こんなモノまで、用意していたとは!!


税金を年額4000円払っているかいが、あると言うものです。


早速予約して明日にでも取りに行きたいのですが
風邪を引いているようです。

頭が痛いです。

滅多に風は引かない部長ですが、
。。。


治します。
そして狩りに行かないと・・・
借りに
です。


ところで台風の所為で、天井から水が漏れて
パソコンのキーボードが
死んでしまいました。
今は、懐かしのマックで
書いています。


スペックが吃驚する程ないですが、
まあ、ブログを書くくらいなら
大丈夫っぽいです。
未分類

ジュサブロー館

2011/09/18 Sun 19:37

ジュサブロー館

RIMG3892.jpg


コレまたいつか行こうと思って
気がつけば1年経ってました。

行ってきました。



ぶふょ~~~~ん。
いいです!

人形の色気がものすごいです!!


辻村寿三郎先生も、そこがアトリエになっているようで、
作業中でした。


つべに落ちていた(もうしわけない!だがコレしかないのです。DVDもないんです)
真田十勇士を見て
ひと目で気に入った人形たちです。
残念ながら、真田の人形はありませんでしたが
里見八犬伝の人形はありました。

真田十勇士を見ていない自分を呪いました。

ぜひとも佐助や真田の人形を見たい・・・。



フィルムもなければ、人形もないそうです。



ならば作る!

部長が作る!



博物館に
飾ってあるだけの人形をひとつを、
動かしてくれました。

もう感動です。

人形浄瑠璃が目の前30センチで行われているのです。


何たる色気!!

洋風の人形もあったのですが
やはり本領発揮は
江戸時代っぽい女性の着物の人形です。

鬼のような美しさと迫力です。


コレをそのまましげちゃんに・・・。



野望です。
博物館
行ってみたい博物館がありまして。

眼科・外科医療器具 歴史博物館

というものが京都にあるのです。


紹介してくれてるサイトの写真を見て
もう一発で虜です。

いつか行こう、
必ず行こう。


そしてチャンスがやって来ました!!

そうだ、京都へ行こう!



目的は、清水寺でも湯豆腐でもなく
この

”眼科・外科医療器具 歴史博物館”


です。


予約制なので
予約しました。












その日はお休みでした・・・・・・。









むおおおおおおお!!!!!







水曜日のみ、開館してくれるというのです。
申し込んだ日は、偶然にも水曜日でした。
なのに、


その日はおやすみささて頂きますと、
メールがやって来ました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。




だがしかし!
こういうカルトスポット好きのIさんから
またしてもツボに入った
博物館情報を頂きました!!




歯の博物館


です!
写真が載ってるサイトはこちらです。
いいです!
もろ、好みです!
名古屋です!
行きます!



が。
来年秋まで、改修工事のため

お。や。す。み。





る~るる、るるるる~るる。(徹子の部屋)

もうイイです。
おとなしく、
大阪で真田丸と夏の陣の道明寺近辺に行ってきます。


国内外問わず、医療系の博物館情報、
お持ちの方、ご一報待ってます
博物館

大坂の陣

2011/09/11 Sun 14:59

家康が、豊臣に難癖をつけた、
戦国期の最後っ屁とも言うべき戦いです。


さてさて、

コレまた想像では、
家康の大群と、
豊臣の寄せ集め軍団が
大阪城近辺で、やあやあと、
やりあってるのだと思い込んでいました。

大阪城ホールで
20万人コンサート的な・・・。



違いました。



結構広範囲に、アチコチで
やりあっていたようです。



当然、調べるのは、
伊達軍のいた場所です。


夏の陣から調べているので、
冬のことはわかりませんが
真田幸村とやりあった場所が
道明寺から、誉田八幡宮近辺で、
大阪城から
意外に遠かったので
びっくりです。



それほど、大阪城のまもりは厳しいものだったのでしょうか。


政宗のことなので、
功績をたてて、恩恵に預かるよりも
どさくさで
徳川をやっちゃって、ついでに豊臣もやっちゃって、
トップにのし上がろうと
どこかで計画を練っていたのでは、と思うです。

いや、たぶん他の外様諸大名も
似たような夢は持っていたと思うのですが
どうなんでしょうね~。


教科書では、このあと太平の世が続くと
知らされているので、
戦乱期のような天下を狙う戦は
もうないのですが

当事者たちにとっては
まだまだ行けるはずだと
戦国時代を引きずっているに違いないです。


特に政宗は
24歳の奥州ぶんどり合戦の絶頂期に
豊臣に頭をたれたわけですから
それはもう、
いつだってヤル気満々です!


いけいけ政宗!
どこまでも政宗!
パラドックスで、
現在進行形で過去の歴史が変わっていてもいいのですよ・・・。


hp18.jpg
政宗の歴史

片倉小十郎景綱の死因

2011/09/04 Sun 12:20

部長の記録は、雑多です。

あちこち時代が飛びます。



さて、急に気になった小十郎の死因ですが

中風と糖尿病、

という説が多かったです。


太って起き上がれなかったらしいです。(なんと!)





中風とは、Wikipediaによると
「脳血管障害の後遺症(偏風)である半身不随、片まひ、言語障害、手足のしびれやまひなどを指す言葉として用いられている。中気、卒中また俗に「よいよい」ともいう」

「しかし本来は純然たる伝統中国医学(東洋医学)の用語で、(中略)風邪(ふうじゃ)が体に侵入したことによって起こる症状である。発熱・発汗・咳・頭痛・肩のこり・悪寒・悪風(おふう、風に当たると寒けや不快感があること)などがあり、脈は浮脈(指で触れて、直ちに触知できる脈)である」


ということです。

いわゆるメタボの重症化、合併症を引き起こしてたなら
糖尿病も
脳卒中も起こします。

要介護状態で、起き上がれなくもなります。



太って布団から起き上がれないといういろんなところの記述も
このへんから来ているのかもですね。


ともあれ。

病のため大阪の陣には息子を自分の代わりに出陣させてます。



他の家臣が見舞いに行こうとしても、
政宗以外には会おうとしなかったとも言います。


そんな状態であれば、
特に、かつて奥州をぶんどっていたイケイケ時代に
ともに戦ってきた仲間には、見せたくはない・・・。



ついでにメタボになる、よく小冊子で解説しているところは、

不健康な食生活
●運動不足
●過度な栄養
●喫煙
●ストレス

が、たまっていくと、、、ってやつです。

運動不足?籠ばかり乗っていた?
過度な栄養?酒の飲み過ぎ?
喫煙、まあ、タバコは吸っていたのかも。
ストレス・・・・・・・・・

政宗のせいです(断言)






大阪夏の陣で幸村の子供たちを引き連れて白石に戻ってくるわけですが
景綱は、戦場では幸村と会ったことはないと思われます。

聚楽第時代には、みんな京都に大集合していたので、すれ違うくらいはしていそうですが、
そんな記述、どこかにあるのかな??





以下、
「夏の陣を報告に白石を訪れた政宗」

hp15.jpg
hp17.jpg


片倉
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