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伏見城の政宗下屋敷

2012/06/30 Sat 22:44

電車オタクにも、
乗り鉄、撮り鉄、など色々分野があるように

歴史オタクにもおそらく分野はあるのでしょう。


しいて言えば、図面と地図ヲタです。

こんな本を借りてきました。
図書館はすでにマイ書庫です。

RIMG6115.jpg


「京都時代MAP 安土桃山編」
少女時代ではありません、京都時代です。

かつての街並みと今の街並みが重なる地図で、
これによると、前回紹介した政宗の伏見城の屋敷はもっとでかかったです。

伏見城マップクリックで拡大


えええええええええ??????????

というか、伏見城がちっちゃいです。
いや、お城全体はむろん、政宗屋敷よりは面積はでかいですが
丸の内にたくさんの家臣の屋敷が入っているので、本丸の秀吉のスペース?だけなら他の家臣より狭いです。

ところで、もういっこ、
でかい敷地があります。
下屋敷です。

伏見城伊達政宗下屋敷クリックで拡大


住所もちゃんと、深草西伊達町、深草東伊達町、となってるエリアです。
住所付近を枠で塗っただけなので、正確な敷地ではありませんが
広いです。

どういうことだと思うくらい広いです。


この時期、政宗はほぼ領地に帰ってません。
秀吉が政宗の不満をそらすためのものか、飼いならそうとしていたのか、土地だけ見れば他大名より破格の待遇です。

が、結局のところ、屋敷や家臣の建物って、伊達がお金出して建てていたんですかね・

成実も伏見に屋敷を賜ったらしいので、このでかい敷地のどこかにいたんでしょうか。
政宗の斜め下の下屋敷は誰が住んでいたのか、愛姫でしょうか。

色々謎です。



岩出山に帰らない理由は、政宗も旧領地がなくなったので
馴染みのない土地に帰る気にもならなかったのかも。

しげちゃんの出奔理由とも重なってくる、政宗の伏見時代です。

政宗の伏見時代


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伊達の地図
気がつけば6月も終わりです。

さて、そろそろ夏の花火大会の季節ですが花火を最初に見たのは、政宗ではないかという話を拾って来ました。

天正17年(1589)7月7日、伊達政宗が居城していた米沢城で観たのだとか。


ほーーーーーーーー。

政宗花火初めて物語、知りませんでした。


米沢にきた唐人が政宗の前で花火を行って見せたということです。
米沢城にはよく唐人が来ていたようで、
前回紹介した輝宗日記にも登場します。
一緒に双六をしたと。

唐人とはこの場合、中国の人でいいのかしら。

どんな規模の花火かはわかりませんが、見張り番は何かの狼煙に見えたんじゃあないかと、心配です。

政宗の花火大会

そういえばしげちゃん、火薬で大火傷したんじゃあなかったけ??
ここで。
渋川城跡




しばらくほったらかし気味だった、伊達の足跡マップ、チョイチョイ付け足してます。下に行くほうが新しく付け足した情報です。

成実が攻めた清水ケ袋城、よくわかんないので住所から探ったけど、正確には何処なんだろう。あってるのかなあ・・・。
伊達家の歴史

小杉陣屋

2012/06/24 Sun 21:14

鷹狩を調べていたら、家康が鷹狩の際に泊まった「小杉陣屋」という文章が目に飛び込んできました。


小杉陣屋??
小杉って、小杉?川崎市の?


こないだ、近所で鷹狩を見に行ったんですが
その時の説明に、
「中原街道は秀忠が鷹狩に行く時によく使用していた道」
というような記述がありました。


さして気にも留めてなかったんですが、
中原街道というのは、名前こそ違えど東海道よりも先に、西と江戸を結ぶ主要道路として使用されていたらしく、
家康が江戸に入った時にもこの街道を使い、その後も駿府や京都などの往復する際にも使っていた道路だそうです。

平塚に家康の鷹場があって、しょっちゅう行き来していた時にもこの中原街道を使い、たまに泊まったり休憩したりするのに使ったそうです。


なんと!
ご近所にそんないわれのある場所が!

行って来ました。
小杉陣屋跡4
ただの住宅地です。

小杉陣屋跡1

小杉陣屋跡3

小杉陣屋1
小杉陣屋跡には今は小さい祠に、誰も気に留めないような看板があるだけです。






小杉陣屋跡7

小杉陣屋跡5
小杉御殿の説明看板は、さっきの祠と離れた場所の西明寺という、お寺の入口にあります。
地図は下の。

小杉陣屋跡6

そして、住所はまんま「小杉陣屋町」「小杉御殿町」です。
ほお・・・。そういわれたらそんな住所があったよなあ・・・。

住所って大事です。




・・・・・・・・・。


まてまて。
江戸の初期には東海道よりも中原街道を使っていた??

ってことは、政宗もこの中原街道を使って江戸から大阪、京都、駿府に上がっていた??


可能性は非常にでかいじゃあないですか!
まさかの政宗が歩いた道です。
とうぜん、成実も小十郎も歩いた道です。
(馬に乗ってたとか、籠に乗ってたとか、そこはスルーで)

伊達と一切関係ないと思っていたこの中原地区に、政宗としげちゃんの足跡があああ!??


小杉陣屋跡8
御殿があったあたりのアパート

小杉御殿は家康のものだから政宗たちが使えたとは思えないですがどうなんでしょう。
そのへんの身分的なことはよくわかりません。
絆とか言ってるくらいなら、使わせてくれてもいいと思うんですが。



中原街道
これが狭い中原街道です。


兎にも角にも
昨日と違って、今日からは中原街道が
神々しく見えるのは、気のせいでしょうか。

キラリーン!!
江戸の歴史

伊達政宗の久喜鷹場

2012/06/23 Sat 15:58

政宗は鷹狩が大好きだっと、あちこちの記述に見かけます。
鷹狩のエピソードも色々あります。


ではその鷹場とはいかなるものなのか。
ってか、そもそもどこにあるのか。


調べてみました。


場所は埼玉県です。
久喜鷹場というところらしいです。

埼玉に久喜市というところがあるので、その近辺のどこかにゴルフ場くらいの敷地で遊んでいたんだろうなあ。



と。




そんな考えでした。




違いました。
だいたい部長の思う物というのは、歴史に何一つ当てはまった試しがありません。

でかいです。ゴルフ場とかそんなレベルじゃありませんでした。とんでもなくでっかいです。
ごらんください、この驚きの鷹場の広さを・・・・!!

久喜鷹場

地名をざっと枠でくくっただけですので、かなり適当ですが、それでもおおよそのでっかさは伝わると思います。

これを東京にずらしてみると、お台場から和光市を通り越して新座市あたりまで、政宗の鷹場です。
久喜鷹場2

東京ドーム何杯分とか、無理です。





慶長6年に、家康から拝領した鷹場です。
歴史的に調べたい人は、このへんが詳しいです。
久喜市の公文書館のPDFファイルにあります。
http://www.city.kuki.lg.jp/shisei/kobunsho/kobunsho/tenji.html



とはいえ、ではこの広大な地のどこで、政宗が実際鷹と戯れていたのかといえば、ほぼお手上げです。
米津氏久喜藩陣屋ではないか、というキーワードが浮かんでくるのですが、
ここに簡潔に書かれていますが、実際はまるでわからないといったところでしょうか。


他のHPで久喜市の別当館というところに伊達陸奥が観音院を開山した、という記述も見つけましたが
ここ??

特にググっても何も政宗との関係は出てきません。



もしくは、またしても部長が知らないだけで、鷹場の時に寝泊まりしていた場所をご存知のかた、いっぱいいるのかしら・・・。教えてください!!

鷹狩6


おまけ
で、その政宗の鷹場陣屋と言われている屋敷の図面かもしれない、というものも
上記の公文書館の「絵図にみる久喜の歴史」PDFファイルで見られます。
が、もちろん、時代は政宗より下っているので、
当時のものではないでしょうが、でかいです。立派です。

鷹狩の陣って、陣幕があってちょっとした離れみたいな家があって、って想像した部長・・・。
むうううう!!!!
覆される、イメージよ!!
政宗の歴史
しまったあああああああああ


部長は痛恨のミスを犯してしまいました。


盆に帰って来いと、北海道の実家から命が下り
極貧の部長は泣く泣くハイシーズンのお高い飛行機のチケットを買ったのですが
こんな祭りが北海道伊達市で開催されるというじゃあないですか!!

=伊達にこい!武者になれ!=   
in北海道伊達市
 8月6日(土)・7日(日)開催
http://www.city.date.hokkaido.jp/keizaikankyou/shoko/n96bln000000kp28.html

  「騎馬武者を始め総勢約330名の甲冑武者による
  「伊達騎馬総陣立(じんだて)」や、勇壮な武者
  絵の山車やパワーあふれる踊りが群舞する
  「伊達武者山車(だし)」など、武者づくしの多彩
  な行事が行われます。」


おおおん!
しげちゃんーーーー!!

って、でもイラストは堂々と政宗なんですがね・・・。



だったら6日にチケット買えばよかったよう!!

7日すぎの出発便買っちゃったよう。
キャンセルすると半額取られるハイシーズンでも安いチケットなので
もう無理です。

来年です。

きっと伊達市なら白石の小十郎まつりほど
もみくちゃにならずにすむと思われます。
だって、広いですもの、ほっかいどー!!


伊達市に行ける方はぜひぜひ遊びに行って下さいね~~~!!



「武者になれ!!」

公式でそう叫んでいます。自作甲冑で望みませぬか??
ご用命は自作甲冑クラブしげ部まで!


甲冑着て遊び仁GO!!

全国お祭り情報
自分で作る甲冑シリーズの面頬と喉輪が新登場です。

面頬と喉輪の作り方



面頬はおもちゃのお面を使用して作ります。
それも含めた作り方の説明書と
材料、実物大型紙をセットにして
1,500円で販売いたします。
喉輪作り方1
説明書です。
他の防具もこんな感じの手書き説明書です。

詳細はhttp://shigebu.minibird.jp/kacchu-price.html


陣羽織の作り方や、戦国足袋の作り方(本来は革だというお話ですが、布です)もそろそろ着手せねば・・・!!

追記:陣羽織の型紙&作り方説明書完成しました~!
詳細はhttp://shigebu.minibird.jp/kacchu-goods.html



ところで政宗の有名な鉄黒漆五枚胴はいつ着ていたものなのか
気になっていたのですが
本日借りてきた政宗の入門書的な
「素顔の伊達政宗」
に、アリました。

人取橋合戦の時の甲冑を後生大事に持っていた政宗、
瑞鳳殿に遺骸とともに埋葬されていたと書いてありました。

そうか、なるほど、実戦に明け暮れていた時にすでにあの形が完成されていたのですね。
納得!!

写真はこちらのブログが詳しいです。
甲冑

伊達輝宗日記

2012/06/15 Fri 19:19

伊達輝宗直筆の日記が仙台博物館にあるそうです。

仙台までは行けないので、
今回は初めて国会図書館へ行って来ました。
なんでもあるという、夢の図書館、国会図書館。

場所は永田町です。
警官がたくさんいる街、永田町。
下世話な飲み屋が見当たらない町、永田町。


さて。
永田町で検索して出てきたのは
本文そのものではなく、
研究の下りでした。
「東北中世史の研究下巻」の中の
「伊達輝宗日記」の基礎的研究 / 金子拓 著

に載っていました。



それによると、

「天正弐年御日日記」という、
タイトルのまんま、天正2年の1年間だけ綴った日記です。

正確には2月から始まり、12月27日で終わっていて
それ以降は書かれていない日記です。

その間は2日ほど書いてない日があるだけで、毎日、日付と天気だけは書かれていて
それも、マメにあとから線で消して訂正しているというから
おもしろいです。

例えばこんな。

「8月2日、天き上々」→「8月2日、ひるより雨」

「9月21日、天きよし、くもる、あつし、ふろへ入候」→
「9月21日、天きよし、くもる、あつし、ふろへ入候」


暑いと思ってたけど、風呂に入ってさっぱりしたら、そうでもないんじゃね?
と思って訂正したのかな、輝宗様。

なんだか人間臭くて一層好きになりました。


それにしても思ったより、
所蔵がなかった国会図書館。

読んでみたい伊達成実著は、全て福島県立図書館です。
政宗関連も
福島県立図書館にいっぱいあるっぽいです。

さすが伊達の本拠地、福島だ!

成実の生まれた福島、いいよ、いいよ!



どこかのデジタルデータベースで、天正弐年御日日記読めないのかなあ・・・。

輝宗日記

追記
kieさんのコメントご覧ください。
読めます!ありがとうございます。
輝宗
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