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出来ました!

伊達三傑人形です!
date3.jpg


大人の雛飾りに、五月飾りに、武将コレクションに!
政宗も一緒に、ひな壇の組み合わせは自由にどうぞ。

伊達三傑人形3

参考価格4体172,000円

他人物、愛姫、左月、輝宗等、オーダー受け付けます。
全て手作業による1点もののアートです。

実物大のレプリカ甲冑を飾るも良し、
アートを飾るも良し!


同じものは2つと存在しない武将をお手元に!

伊達成実フィギュア
鬼庭綱元フィギュア
片倉小十郎フィギュア2


顔の別バージョン、注文方法などは自作甲冑クラブしげ部のページに。
http://shigebu.minibird.jp/doll.html

うん、かっこいい。
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アート

伊達政宗と高屋松庵

2013/01/29 Tue 05:42

仙台藩の医師に高屋松庵という人物がいて、
1617年から政宗の死まで政宗のお抱えだったという。


この人と、前回紹介した鼠を食って死にかけた政宗を助けた高屋喜庵と言う医者と同一人物なのかはわかりませんが、きっと一緒です。だとすると、鼠事件が本当にあったとすれは1617年ということになります。政宗51歳。嫡男忠宗と振姫の婚儀が行われれた年です。描いた時には40ちょいくらいのイメージでしたが、なにやっとんじゃ、政宗よ。
やはり、政宗という人物は、いつだって想像の上をいくのです。




さて。
高屋松庵に当てた政宗の手紙が28通残っており
これがたいへんおもしろい。


自分の具合はもちろんのこと、召使女房、娘などの症状を記して薬を処方するよう指示した手紙です。

下屋敷で咳が流行っているとか、召抱えの女房衆に熱が出ているとか、喉が患っているとか、身近な人間の脈を自ら取り、症状を細かに伝えて薬を処方するよう伝えたりして、これが大大名のやることなのか!?人情家の庄屋のご隠居みたいじゃないか!と、思うほどいいじいさまぶりです。
(何故か残っている手紙は全て女房衆のことばかりで男どもの心配がないです)


自分のことに関しては、飲み過ぎて熱があるとか便の出がいまいちだとか、小便が濁っているとか、タンがあるとか腹が張るとか、飲み過ぎたとか、飲み過ぎたとか。
実に、生々しい政宗であります。


で、すっごい気になったのが

「昨夜白鳥と辛口の焼酎を飲んだせいか、熱が出て舌が乾く。ムカムカして治らない。薬一服くれ」(意訳)


白鳥のせいなの?
白鳥と焼酎の食べ合わせなの?
教えて、喜庵先生!!

高屋松庵医師


政宗の歴史

白石は雪だった

2013/01/28 Mon 02:30

青根温泉を出て白石方面へ路線バスで。

もっさり雪が降ってきました。
なに、止むだろう。



やみません。


白石城に近いところは市役所前だと教えられてそこからテポテポ、誰もいないお城の道を歩いて(滑って)登ると
まるで桜が満開のごとく、真っ白い雪の花が咲いています。

雪の白石3


誰もいません・・・。
雪の白石



お城から係員と思しきおじさんが出てきて「貸し切りだよ!」
と、言われました。
ちょうどおひるどきなので、お昼ごはんかしら。


中に入ると、その通り貸し切り!

暇そうにしているおじさんに案内を乞うてみたものの、
説明されるほど中は何もありません。

何か、資料や小十郎のレプリカ甲冑とか展示しているのかとおもいきや。

何もありません。


「なんもないんですねー」
「ないです。お城の構造を楽しむ建物です」


なるほど。


お城、というか、天守閣の構造を楽しむための建物でした。
そう広くないのですぐに終わっちゃいます。


う~~~ん!物足りない!
蝋人形の一つや2つ置いといてくれてもいいのに!

何なら蝋人形館にしてくれてもいいのに!




雪の白石2


窓から大手門を見下ろす。
見張り台としての役目は果たしてました。



天守閣を出て資料館へ。
手紙が何点か展示してありました。
そして資料館も思ったほど、片倉小十郎にまつわるものがなく、
非常に物足りず・・・!

むしろ北海道の登別資料館のほうがいろいろありました。
登別資料館1
大阪夏の陣の首帳


登別資料館2
大阪夏の陣でぶんどった鉄砲

頑張れ、白石!!そして写真撮影OKにしてくれ!

阿梅の3Dシアターを見て(部長一人だよ!)駅に向かいました。



ありゃ!
神明社にお参りするの忘れた!


青葉神社で政宗を参り、
亘理神社で成実を参り、
綱元を祀っているわけではないけど、綱元の屋敷跡の神社で参り、
神明社で小十郎を参って完璧だ!と、計画していたが

すっかり忘れて駅まで戻っちゃいました・・・。


奇敏鎌刈田彦命!すまぬ!


ま、また行けばいいんだよね!

白石から在来線で福島へ。新幹線まで時間があったので図書館行って資料あさってました。政宗の医者に当てた手紙とか面白かった。酒飲み過ぎて具合悪いから薬を送れとか、こないだの薬はもういいとか、なんか、リアルに生きてたんだなあ、と思うのです。



それにしても福島駅。絶対渋谷よりも立ち寄ってるヨ!
おされな自由が丘なんかすっごい近いけど、2回くらいしか降りたことない。
なのに福島率の高さといったら。

願わくばもうちょっと駅前に酒飲まずともサクッとうまいもん食うところを増やしてくれ~!
旅行記

茂庭綱元の甲冑?

2013/01/26 Sat 15:21

伊達政宗と家臣たち

買いました。
昭和62年「伊達政宗と家臣たち」仙台市博物館の図録です。


ここに未だ見ぬ茂庭綱元の甲胄の写真があると教えてもらい、即買しました。

ありました~。
政宗のものと変わりない構造で、モノッスゴい綺麗です。
でもってスリムです!

説明には「茂庭綱元か良元のいずれかが着用したと考えられる」とあります。

仮にこれが本当に茂庭綱元、あるいは息子が着用したとすれば、彼は大変なスリムボディです。
綱元、40歳くらいでこんなに細身だったのか!!あるいは息子が細いのか!

茂庭綱元甲冑
写真をなぞるとこんなかんじです。


うーむ。ひょっとするとこれが政宗初陣、もしくは初めてこのパターンにした時の甲冑ではなかろうか。
いやしかし、五枚胴にした時期も正直わからない。一説によれば秀吉謁見の時期に鎌倉雪の下で作らせたという話もあったりするので、謎です。会津の雪の下の職人に作らせたという話もあるので、そうだとすると早い時期にこの五枚胴スタイルでもOKですね!

まあ、いずれにせよ、モノクロですが図録の写真の甲冑は大変に綺麗なバランスです。
仙台市博物館にある政宗甲冑より細身に見えるのは、籠手とか兜がないせいかもしれないですが、やっぱりスリムです。
少なくともこんな政宗が着られるサイズではありません。

松島の政宗1こんな政宗
松島の政宗2こんな政宗・・・
小十郎に「おまえは太って大変だからオレの甲冑やる」っていうくらい太ってたんかい!!




若かりし政宗の甲冑を綱元が大事に持っていることに違和感は全くありません。
仙台藩主に政宗の甲冑あれば差し出すよう命じれれても
「コレは我祖先綱元の甲冑でござる」といってはねつけたのではなかろうか。
成実、片倉、石川、白石、留守、などなど、全ては(伝)ではあるけど彼ら政宗と同時代の家臣たちの甲冑はそれぞれ形も異なるが、綱元(伝)だけは政宗のものといっていいくらい似てます。

いや、政宗のものと決めつけたのは部長ですので、みんなはそう思っちゃダメダメよ!


さらに以外なことに鈴木元信(伝)甲冑も載ってました。
ドラマのイメージが先行して、そろばんしか持ってないのかと思ってました・・・・。
彼も武将なのかあ・・・!


いやはや、よい図録でした!まんぞく!
甲冑

輝宗様の甲胄?

2013/01/26 Sat 02:16

不忘閣には伊達輝宗の甲胄、というものがあります。


まだ行ったことがなかった以前は他の方のブログから紹介しましたが、今回はバッチリ写真撮らせてもらいました。


これです。
伊達輝宗の甲胄1

伊達輝宗の甲胄2


正面の写真しかなかったのでわからなかったのですが、
兜が胴の模様とおそろいなんですよ!!

糸は全体的に色あせているとはいえ、
非常に綺麗な甲冑です。

大概甲冑はバラバラなのです。
兜と胴と揃っていない事が圧倒的に多い。

けどこれは揃いです。
袖も喉輪もおそろいです。
その点だけでも価値は高い、実にいい具足です。
実戦にも着用せず未使用で、飾り用に作った感じがします。が、部長の見解なので鵜呑みにしちゃダメよ~!

そして時代はどうかといえば、甲冑に詳しい方に写真を見せたら制作年はせいぜい江戸初期、残念ながら輝宗の時代ではなさそうだという見解でした。
兜の吹き返しの家紋も、北條の三鱗、これに丸がついてます。丸に三鱗、という家紋のようです。
家紋に関しては全然知らないのでザラッとググると
「一般に丸で囲んだ紋所は、主家に従う立場の、主家に対する格一つの謙譲を意味するものと言われている。」
だそうで、北條関係に縁のある甲冑なのかしら。



甲冑の歴史も流派があるようで、現在も甲冑師によって見解はまるで異なります。
部長も2人の甲冑師に同じ質問をしたところ違う答えが帰ってきました。

どちらもなるほど~、と思います。


誰も歴史を見ていないので、それぞれの研究の結果です。

ちなみに部長が着るとこんな感じ??

RIMG0002.jpg
大きさ比較のため、写真を女将さんにとって頂きました。

推定150cmくらいかな???


輝宗の身長は不明ですが
部長の中ではすっごい小さい人、です。140cmくらい。
で、義姫が160cmくらいあったのではと思ってます。
輝宗は子供がでっかくなるように、でかい嫁が欲しかったのではと勝手に想定しています。
完璧な妄想ですが、畠山義継が輝宗をさらった時に小脇に抱えられたという描写から巨漢ではなさそうです。



伊達家の方が使用した袴もあります。
伊達家の着物

とても小さい着物です。江戸時代のものだそうです。

戦国時代よりも江戸時代のほうが平均背が低いです。
政宗の甲冑と代が下った藩主の甲冑が並んでいるとその大きさがよくわかります。

RIMG9913.jpg

・・・すいません、この写真では絶対わかんないです。
自分で確かめてくださいね!どんどん小さくなってます。

成実の甲冑(伝)と明治を迎えた藩主の甲冑とでも大きさがまるで違います。
成実のほうがでかいです。155~160cmくらいと見えます。



ところで今も伊達家の方はこの藍色(展示物は色あせてますが)の着物をお召になっているのだそうです。
現在の伊達家の正月とか妄想してしまいました。




部長が甲冑好きだと女将さんに告げると、
やはり色々好きな分野の方がいて、建物が好きな方は、
「この建て方は伊達家の特徴がよく出ているね」と解説するそうです。
表具屋は表具を感心して見ていく。
そんなことを言ってました。



車のない時代、仙台城を朝の8時に出発し、ご一行が到着するのは夕方5時。
ひとっ風呂浴びての夕食かな。



いやあ、お湯よし、ご飯よし、宝物よしの文句ない5つ星、不忘閣。
面白かった~~!
旅行記

うふふ不忘閣で政宗の湯

2013/01/24 Thu 19:45

亘理を出て仙台に戻り、
茂庭の屋敷跡
茂庭屋敷跡

と政宗を追って自殺した馬の神社
RIMG9779.jpg
RIMG9780.jpg

をさくっと回り
博物館で兜をかぶって秀吉のレプリカ甲冑を眺めて遊んだ後は

今回の旅メインパート2!



青根温泉政宗の湯がある不忘閣へ・・。



仙台から高速バスで1時間、終点宮城蔵王ロイヤルホテルでおり、そこから宿に連絡してお迎えに来てもらいました。
相変わらず公共機関でのみ旅をする部長です。

ところでロイヤルホテルから電話をしたらメモった不忘閣の番号が間違ってたようで、フロントで尋ねたら若干やな顔されました。悪かったよ、泊り客でなくてさ!あ、そうそう、部長、携帯ももたずに旅してます。
だから一切の連絡が入らないから旅に集中できるのです。メモ持ってれば旅はできます。後は人に聞けばいいのです。


山道を車で10分くらい、着きました、憧れの不忘閣・・・きらりん☆!



平日とあってお客は少なく、もうね、貸切状態です。
ここの温泉は、全国秘湯を守る会という、実に素敵な会の湯で、果たしてその名の通り、っていうか、それ以上の温泉っぷりにやられました。


いいです!!!


めちゃめちゃいいです!!!!!!!!!!!!!



2つの男女湯と、
4つの貸切風呂があり、一組30分程度なのですが、十分です。

一晩で6つ制覇せねばなりません!
まずは「蔵の湯」へ。

貸し切り札をフロントで借りて、湯の入り口に立てておくだけ。
そこから先は、お一人様です。


古い蔵の脇を通って行くのですがその演出だけで吐血しそうになりました。
真っ暗な通路にぽつんとあかりが。
不忘閣7


突き当りに湯屋が。


不忘閣6


重たい蔵の扉を開けると




失神しそうになりました。







なんだこりゃーーーーーーーーーーーーーー!

不忘閣5

いい!

いいです!

不忘閣4




広い蔵に板敷、明かりが4隅にあるだけ。
洗い場はありません。シャンプーとかドライヤーとかありません。
あるのは脱衣かごと湯船だけ。
脱衣カゴと湯船の仕切りもありません。




うは~~ん。

ひのきの広い湯船と空間を独り占めです。
こんな贅沢ありますか!
政宗以上の贅沢です。


30分と言われても時計もない、しかし、今日は客はおそらく他にカップル1組だけ。
かまわんさ。

泉質は単純アルカリで、無色透明、ちょっと酸っぱいですが、湯加減がこれまた超絶妙!
入った瞬間も熱くなく、入っていてものぼせるでもぬるいでもなく、なんか知らぬが心地よい事この上ないです。

浴衣に着替えて部屋で夕食です。

見よ!
この豪華な浴衣を!
不忘閣3
「伊達62万石の宿」ですよ!

ご飯は懐石料理です。
おしながきが長いです。

不忘閣11
不忘閣10


政宗鍋が気になります。
不忘閣9
おわんの裏に家紋。うふん。

不忘閣8
政宗鍋。政宗の肉ははいってませんでした。
かわりにキジ鳥の肉です。鴨っぽい感じで、固いです。
鶴もこんなかな。政宗の好きな山鳥の肉です。


腹一杯です。
しかしここで休むヒマはありません!

湯めぐりをせねばならぬのです!
唯一石鹸、シャンプーのある女湯(これまた古い旅館の風情)で体と髪の毛を洗い、
隣の貸し切り露天へ。
狭いけれどここもまた面白い!
さらに貸し切り「新湯」へ。
建物の奥の奥、どん詰まりにありました。
「新湯」というからにはあとで作った湯だろうとおもいきや。
暖簾はスレてボロボロ、何ひとつ新しくない!

湯船も相当古いものでした。
この泉質だけ他とちょっと違う感じがしたのは気のせいかしら。


満喫して、肝心の政宗の湯は夜は男性専用、朝に行くべし!

夜10時。バスで寝てないので爆睡!



へっと、
目が冷めました。時刻は4時。


目が覚めたのなら仕方がないです。
・・・、よし、政宗の湯に潜入しよう。


朝8時まで男性。知らぬ。どうせおらぬ。どちらにせよ貸切り札を立てておくので誰もはいっては来ないですし、札がなくても誰も来ません。

不忘閣14

なにゆえ政宗の湯かと申せば、
この宿は伊達家の湯治場として、政宗の代より営業を始めたのです。
そして政宗の湯の湯船が石で出来ていて、建物は新しくしたが、湯船は開業当時のままなのです。

政宗のケツが触れた湯船なのです。

不忘閣15

広い・・・。広い湯船を独占。なんという贅沢。

成実も入っただろうか。入ったに違いない。



見知らぬおっさんもいっぱい入ったことは置いといて、石の湯船をザラザラと手のひらで愛でてみた部長でした。


不忘閣13

めっさおすすめ、不忘閣。
これでたったの16,000円くらい。
また行くかな。行くでしょう。もう。
旅行記

伊達成実 御開帳

2013/01/23 Wed 21:49

大雄寺01

雪の大雄寺。
亘理は3度めです。
無論、部長旅の中では最多です。


1月16日は伊達成実御霊屋の御開帳の日。


これを目指して行ったのです。
そしてたまたま雪が降っただけです。

雪の大雄寺を目指してたわけではないのです。が、冬らしくて大変によいです。
成実もよく見ていたであろう亘理の雪景色です。


お寺の脇を登るとそこには成実の御霊屋が!

開いてます!



眩しいです!


大雄寺02



中は大変綺麗でした。

お参りした後、係の方に尋ねると写真は撮ってもいいとのことで、ぱしゃり。


思ったよりも保存状態がよいです。
大雄寺03

すっごい微笑んでおられます!
パラパラと人はいましたが、地元のおじちゃんとかが挨拶に来たりする程度で、本気で興味がある人が誰も居ないことを良い事にかぶりつきで眺めておりました。
(無論観光でいらしている方が来たら譲りますが、いなくなると再びかぶりつく怪しい人に)

指の角度が現代的でキュートです。

正確な制作年数は不明なものの、おそらく死後50年くらい経って作られたのでは、と言う説明です。
さらに霊廟の下には石室もあり、遺骨もあり、一緒に甲冑と刀は埋葬されているだろうというお話です。

1度建物を修復した際に開けてみようかという話も出たけれど、結局開けないままにしたのだそうです。


学術調査という意味では、ぜひとも開けて欲しいですが、静かに眠っているお墓を開けると言う話になるとやはりそのままでいいんじゃないかと思います。


ところでここには成実の2度めの奥さんと幼くしてなくなった子供のお墓もあります。
「御霊屋の裏手のこんもりしたところ」と書物にはあり、てっきり裏手にある崖っぷち手前のこんもりした場所かと思ったら、



違いました。




ほんとに真裏でした。
大雄寺成実の妻のお墓1

ここです。
大雄寺成実の妻のお墓

これは最初に訪れた時の写真。
部長360度写真とってました!



と言うことは・・・。




もうしわけありません!!!


踏みつけておりました!!!!!!!





案内板くらい立ててくれてもいいと思うの。グスグス。
ごめんなさい、岩城御前さま。小僧丸さま。



おそらくここに夫人と子供のお墓を作ったのは成実本人であろうから、
成実も死後はここに墓を建てるよう指示があったのではないかという。


なるほど、政宗も自分の墓所は自分で指定しました。



政宗もそうですが、亘理伊達家が代々続く中で成実はやはり別格で、後に続く当主のお墓は石になっています。大地震の時には石のお墓はみな倒れていました。8月に、仮設住宅の設置が終わった後、すぐに墓所の修復にかかったとのこと。これはかなり早いことだったようで、茂庭家から「どうしてそんなに早く手を付けられたのか」と、言われたそうです。
人命が一番とはいえ、大事な心の拠り所をそのままにしては置けない気持ちというものが伝わってきます。
部長が軽々しくしげちゃんなどと呼んではならないことは重々承知です。成実公は大事にされているのです。

2011年6月
大雄寺04
2011年11月
大雄寺05

御霊屋の中の像は倒れてなかったそうです!
踏ん張った成実!さすがです!


ところで、北海道の移住先の伊達市にも大雄寺はあり、実物大の御霊屋もありますが色は塗ってません。


北海道大雄寺01


本家に遠慮があるそうです。




帰りは道も滑るのでタクシーで帰ろうとしたら、捕まらず。
再び滑りながら駅までたどり着きました。足がパンパンです・・・。



成実
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