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前回からの続き

そもそも。
畠山(二本松)義継の遺児、国王丸12歳がなぜこんなにも盛大に各地の大名を伊達潰しのために呼べたのか。
国王丸に人気があったのか。
伊達が不人気だったのか。


いわゆる、人取橋合戦の陣営を見ると、見事に叔父といとこです。
wikiより。
~11月10日、二本松氏救援のため佐竹義重・義宣・蘆名亀王丸・岩城常隆・石川昭光・白川義親・義広・相馬義胤ら南奥諸大名が挙兵~

苗字だけ羅列すると皆別人ですが、ほぼ佐竹です。

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政宗が佐竹から不人気だったとしか言えません。


なんとなくけりもつかずに終わった親戚同士の戦い。
政宗はこの後もあちこちで戦を仕掛けます。
迷惑です。


そうこうしているうちに、ニュー蘆名家のプリンス亀王丸が3歳で死にます。
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蘆名の空いた座に、政宗は弟を入れようとします。
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しかし。
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5女姫&盛隆ラブの佐竹義重が黙っていません。


エリートでなくなりつつある蘆名家を継いだのは、5女姫の次男で、白川家にいた佐竹義広です。
蘆名盛興の娘と結婚してネオ蘆名家の誕生です。
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いとこ同士です。

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白川義広改め蘆名義広誕生



ニュー蘆名家もネオ蘆名家も、ほぼ、伊達の血です。
そこに人取橋で居場所を失った畠山の遺児、国王丸もおじゃまします。


4回に続く
伊達家の歴史
前回の続きです。


さて。
まずはバリバリ二階堂家に嫁いだ長女、阿南姫と、エリート蘆名家へ嫁いだ4女、彦姫の話。
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エリート蘆名とバリバリ二階堂は小競り合いを繰り返し、ついには二階堂が破れます。
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逆らわない証に二階堂家から人質として、長男盛隆(美少年)当時5歳をエリート蘆名に差し出します。
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ところがエリート蘆名盛興が酒で死にます。
盛興以外男子がいなかったので、人質の二階堂盛隆を養子にして跡継ぎにしました。
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が、エリートを継ぐためには条件付きです。
死んだ盛興の嫁、彦姫と結婚すること。
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年上の叔母と結婚することになった二階堂盛隆改め蘆名盛隆(美少年)。


その数年後、阿南姫の夫と、次男行親が死にます。
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時期は不明ですが、阿南姫の娘が、伊達11兄弟の長男・岩城親隆の息子と結婚します。
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盛隆(美少年)は、蘆名のことよりも実家の二階堂家を助けます。
蘆名家はこのころから分裂していきます。


さて。
エリート蘆名は北関東大親分の佐竹義重とも戦っていました。
5女姫の旦那が義重です。
夫同士が戦っています。
が、二人は戦闘中に恋に落ちます。
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盛隆(美少年)は男好きという説があります。
でもちゃんと彦姫との間にも子供が生まれています。
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前の夫、本家蘆名盛興との間に姫が1人、二階堂家の血を引く盛隆の間に亀王丸と姫が2人
この彦姫が産んだ3人の姫が、後に佐竹の息子、義宣と義広にそれぞれ嫁ぎ、相馬家にも嫁ぎます。
それはまた後ほど・・・。


さて。

男好きの美少年は昔の男に殺されます。
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エリート蘆名がバタバタ死んでいくのを喜ぶ男(政宗)が。
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輝宗は蘆名家の後見人となり、南奥州を手中に入れるため、そうそうに政宗に家督を譲ったという説もあります。
しかし輝宗無念の死。
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1585年のこと。


前年の1584年に6男杉目直宗が死んでいます。
輝宗は11兄弟の中で2番めに死んでいます。


続く。
伊達家の歴史
以前もちょこっと触れましたが、
伊達家の兄弟を見ていくととても面白いです。


この場合、伊達輝宗兄弟です。
伊達晴宗と愛妻久保姫との間にできた11人の子どもたちです。
この時代には珍しく、皆、同父母で、みな、成人まで生きました。

伊達family11

1番 長男 岩城親隆
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はじめからの約束で、岩城家に養子になりました。
嫁は佐竹義重の姉妹で、最終的に岩城家は佐竹家に乗っ取られます
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親隆は狂死したとも言われています。



2番 長女 阿南姫
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政宗嫌いで未亡人。後年は居場所を転々とする悲しい姫です。
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二階堂氏に嫁ぎ、3人の子供がいます。
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この盛隆(美少年)、姫の運命もかなりねじれていきます。



3番 次男 伊達輝宗
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伊達家の跡継ぎです。
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最上家の姫と結婚。
政宗と小次郎が生まれます。
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4番 次女 ?姫
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叔父の伊達実元と結婚。成実を産みます。便宜上「次女姫」と命名します。
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5番 3女 益穂姫
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24,5年上の小梁川泥蟠斎に嫁ぎます。
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生年没年も不詳なまま伊達家の記録から姿を消します。


6番 3男 留守政景
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留守家に養子に行った、かなり出来る人です。
後に水沢伊達氏として伊達姓になります。


7番 4男 石川昭光
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石川家に養子に行った謎の人物です。なぜ、後に政宗が彼をトップに据えたのかわかりません。
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石川家の養女になっていた佐竹義重の姉が妻です。


8番 4女 彦姫
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昼ドラのような展開です。
まずは、東北一のエリート、蘆名氏に嫁ぎます。
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姫が生まれます。
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9番 5女 ?姫
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相当なやり手です。便宜上「5女姫」と命名します。
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政宗が攻めたくても攻めきれず終わった仙道南下の先、佐竹氏に嫁ぎます。
姫との間には4人の男子が生まれます。
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ところで7,8,9と、2年で3人生まれています。
実質3年間あるので不可能ではありませんが、7と8が双子とか、8と9が双子とか、9と10が双子とか、なくもないです。


10番 5男 国分盛重
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国分家に養子に行くも、国分家からも政宗からも嫌われます。



11番 6男 杉目直宗
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母、久保姫と暮らし、子も残さぬまま亡くなります。




それぞれの嫁や嫁ぎ先とその子どもたちに注目です。
この子たちの展開は次回
伊達家の歴史

伊達成実という人物

2013/03/13 Wed 01:40

どーーーにも。

しげしげいってますが、
伊達成実という人物像が、実はわかりません。


武勇に優れたという話ですが、
それはあくまでも後世の後付というか、枕詞になっているだけのような気もします。


実像を探っても探っても、雲をつかむように消えていく。
17歳で家督を継いで政宗の腹心として行動を共にしている。

が、言うほど一緒にいたわけでもない。


一体彼は何者なのか。


伊達家にとって、政宗にとって、「成実」とはどういうポジションだったのか。

成実三昧
実際どんな風体だったのかもわかんないのです。
でもかといって、学術調査と言ってお墓を掘り起こすのもな。

大河ドラマの冒頭に出てくる政宗の遺骨の映像を見て、生々しくて泣いてしまったよ。骨が生きていたよ。
やっぱり、お墓から出したらダメだ!
しげちゃんの遺骨の映像があったら、「やめたげて」って、思うだろうな。



また1から彼の物語を描こうとしても、
気がつけば政宗の話にしかならない。


彼の残した「成実記」のように。


成実

桶側菱綴胴製作中

2013/03/07 Thu 01:17

「桶側菱綴胴」おけがわひしとじどう
またそんな呪文のような名前・・・

と、お思いでしょうが、
桶側というのが、ざっくり言うと、胴に横のラインが入っているように見える胴
菱綴というのが、ばってんで縫い合わせる方法。
この2つの手法で出来上がった胴が、「桶側菱綴胴」です。


具足の名前は、いろんな形の組み合わせを言っているのです。
自作甲冑クラブしげ部にも、簡単に解説しています。
簡単なんで、明確に分けると違うよ、とかいっぱいあると思います。



さてさて。
ざっくりした甲冑作りを指導しているしげ部です。

そんなしげ部が製作中の「桶側菱綴胴」
菱綴桶側胴作り方2jpg

菱綴桶側胴作り方3
作りおわるまで、部屋が片付くことはありません。狭いです。メソメソ。


「桶側菱綴胴」を作って欲しいと注文があったわけではなく、
せっっかくなのでかねてより作りたいと思っていた桶側胴にチャレンジしました。

あまり時代考証にとらわれる必要はないということで、
もっと遊びを入れようかと思ったんですが
布モノがドハデになる予定なので甲冑はシンプルで美しく、かつ、誰が着てもいいように仕上げることにしました。


塗装に命をかけましたよ!
4度塗りです。
菱綴桶側胴作り方1

写真じゃわかんないですが、微妙にムラがあります。
1色ぺたっと塗るより、プラスチック感がなくなるのです。

おかげで、塗料の匂いにやられて、若干イケないことになってます。
ベランダで塗っても部屋に匂いが入ってくる・・・。


広いおうちに住みたいです。
御殿、とまでは言わない。
村の有力者のような家がほしいです。
土間がガッツリあって、ふすま取っ払えばひろーいワンルーム。
理想です。
甲冑

歴史の体験総合展示

2013/03/02 Sat 12:58

先日東京国立博物館に行きました。

かなり久々でしたが広いです。

刀や甲冑、茶器、道具、着物、書物など分類されて展示してあります。普通はそうです。


だが。


それはどうなんだと最近とっても思うのです。
元々の生活空間を作り、そこに配置すべきではないかと思うのです。
さらに言えば、さすがに本物ではまずいであろうから、
レプリカを配置して、見学者が部屋に入って手にとったり、使ったりすると、
なぜ、それがそういう形をしていて、どうしてこの色がもてはやされたのか、いろんなことに気がつくと思うのです。

甲冑はぼんやり形は知っていましたが、いざ作るとなるほど!こういう理由でこういう形なのか!とか、武将のオーダー品は武将に合わせて作るから背格好が見えて色々楽しいです。刀も手に持つと、持ち具合が異なります。
その人に手にあったしつらえをすると言います。
ということは、誰それが愛用していた刀や甲冑を身につけることによって、その人の体格がわかってきます。

茶碗も手に取るとその良さがもっと伝わります。

小袖や長袴なども着用して展示室に入れば、さらに、当時の道具の意味がわかると思います。


陣幕も張るところから始める。
あのペラペラしたものがどうやって立っているのか、実は知りません。

深く差しているのか、裏から支えているのか。どうしのび寄れば、大将首が取れるのか。どう警護すれば大将をまもれるのか、どのくらいの人員が必要なのか、道具は何を使うのか、荷駄隊の箱の中身は何なのか、野営の飯炊き風景はどうなっている、食料は自前なのか、奪ってきたものなのか、大名専用の戦時中のお弁当箱の中身などなどなど・・・・、ドラマでは見えないそこに至る経緯も知りたいです。

とにかく、今の展示は、
年代、作者、素材、場所などの情報があり、「ほー、これは誰それがいつ作ったのか、ほー」で終わります。
だから、今の生活と切り離して「昔のこと」として脳が処理してしまい、単品の情報しか残りません。
昔であっても確実に人が生活して使用して、作った人がいて売った人がいて買った人がいる。
今と同じです。



なんでこの形なのか、このでっぱりはなんのためにあるのか、ジャマじゃないのか、国宝と他の差は何なのか、図録にも載っていません。こちらは研究者ではないので、素朴な疑問だらけなのです。
絵画以外の展示で正面しか見えないのもどうにかして欲しいと思うのです。




あ、先日、戦国時代にふかふか布団はなかったって書きましたが、徳川家康展の図録にありました!
まさに現代の高級布団です。キルトみたいになっていてふかふかです。

家康の布団

家康、やるな・・・。
こういうのも、寝所に配置してほしいな~。そして寝てみたい。城に泊まりたい。


そんな夢の様な総合体験博物館が欲しいです。
キッザニアに近いかな?行ったことないけど・・・。
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