FC2ブログ

スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

お市様の人形出来ました

2013/03/29 Fri 01:44

先日よりネリネリと作っていた戦国の花、お市様、あるいはお市お方の人形が完成しました。

たおやかに、
優しく、
芯があり、
強くもある。

まっすぐに前を見る、そんなお市様です。

依頼主の方にも喜んでいただけ、とても嬉しいです。

お市様5

お市様1


台をつけて納品いたします。

ないものは作る。
作って欲しい武将人形が有りましたら、お気軽にオーダーください。
http://shigebu.minibird.jp/doll.html
スポンサーサイト
アート

武将人形制作します

2013/03/27 Wed 02:38

武将人形制作してます。

いえ、今回は武将ではなく、
「お市」さまです。


お市様人形制作1

お市様人形制作2

お市の方人形制作

打掛と髪型が肝です。

粘土は乾くと縮小するので、手に持った感じにするには、打掛のシワを作って乾かし、縮小させてから切って付け直すという作業です。

上に上に重ねていくので、髪が一番最後です。


雰囲気が見たかったので途中で前髪だけつけてみました。
今は外して作業中です。



欲しい武将をオーダーください。
ポーズや衣装などのこだわりもどうぞ。
むろん、私テイストの作風に限りますが。

詳しくはしげ部のアートページを!
http://shigebu.minibird.jp/doll.html


武将以外のオーダーもお待ちしています。
http://hakubutukanbekkan.blog135.fc2.com/

お問合わせは<ここ>をクリック
※パソコンから返事ができるメルアドでお願いします。

アート

佐竹義宣/伊達政宗

2013/03/24 Sun 03:57

なんとなく描いてみた。
佐竹義宣。
1570~1633


眉毛がつながっています。
佐竹義宣


父とともに常識人



伊達政宗
1567~1637

だてまさむね

自由の天才
しかし誰よりも格式と伝統も好き
アート
前回の続き


トップを石川家に奪われた成実であるが、この物語では、特に触れない。






政権が秀吉に移り、伊達兄弟とその子どもたちも大きく様変わりした頃、11兄弟長男・岩城親隆が死亡。
80.jpg

1594年、11兄弟の5番目の死。

同じ年、11兄弟を生んだ久保姫が死亡。
74.jpg


翌1595年、3女益穂姫の夫で、ずっと政宗に仕えていた小梁川泥蟠斎75歳死亡。
71.jpg
益穂姫、この時生きていたのか不明。


1596年、政宗と決定的な亀裂が入った5男・国分盛重が佐竹に出奔。
77.jpg
国分家、これにておしまい。


1600年、政権が徳川家康に変わりました。


この時政宗は家康から100万石を貰う約束だったが、パーになります。
裏に蘆名一族・天海の声もあったのではと、部長は想像します。
70.jpg


家康政権で佐竹家は秋田に飛ばされます。
佐竹家にいた蘆名義広も、阿南姫も、国分盛重も秋田へ移動しますがその途中、須賀川で長女・阿南姫が亡くなります。
84.jpg

1602年、11兄弟6番目の死。


時期不明ですが、おそらく佐竹家に身を寄せていた、ニュー蘆名家の娘が相馬の跡継ぎと結婚します。
85.jpg
この姫は長生きしません。1601年死亡。

ネオ葦名家・義広に嫁いだ蘆名の血を引く姫(小杉山御台)は没年不詳。




はじめから一貫して伊達家に仕えていた切れ者、留守政景1607年に死ぬ。
81.jpg
功あって、伊達姓に戻され、息子宗利は水沢伊達氏として安泰。

11兄弟7番目の死。

同年、突然、阿南姫の娘が、息子政隆を連れて政宗の前に現れます。
72.jpg
政隆は伊達性を与えられ、岩谷堂伊達家として安泰。

時期は不明ですが、伊達成実と再婚。姫は成実の妻として子供を産みますが夭折、姫も1620年に死亡します。
73.jpg


1614年、出奔先の秋田で国分盛重死亡。
79.jpg
11兄弟、8番目の死。


石川昭光の長男が死亡、その後、孫の嫁に政宗の姫をもらい、石川家安泰。
78.jpg
安泰の中1622年昭光死ぬ。
11兄弟、9番目の死。


益穂姫の没年が不明なため、なくなったと想定。







最後に残ったのが佐竹に嫁ぎ、11兄弟の中で唯一政宗の傘下に入らなかった5女姫です。
76.jpg
佐竹江戸屋敷にて1631年、佐竹のゴッドマザー、逝く。





1番・岩城家、佐竹家に乗っ取られながらも一門として安泰
2番・二階堂家 断絶 孫の政隆が一門岩谷堂伊達家として安泰
3番・伊達本家 安泰
4番・伊達家 一門・亘理伊達家として安泰
5番・小梁川家 一家として安泰
6番・留守家 一門・水沢伊達家として安泰
7番・石川家 一門トップ石川家として安泰
8番・蘆名家 断絶 分家が蘆名を復活させる
9番・佐竹家 安泰
10番・国分家 断絶
11番・杉目家 断絶



佐竹以外は皆政宗の一声で決定されています。本家伊達家の長男、政宗は血肉で争っていた伊達一族を結果的に一つにしてしまったようです。





11兄弟の子どもたちも、1630年代でにほとんどが亡くなります。
政宗は仙台藩を作り、伊達家安泰の中、1637年死亡。

その中にあって、4番・次女姫の子、伊達成実が1646年まで生き、伊達家激動の時代をずっと見てきた成実は伊達政宗の前半を記した「成実記」を晩年書き上げます。

83.jpg



それは同時に、11兄弟たちの戦闘記でもあるのです。

伊達family11










さて。

ここで話は終わるかとおもいきや、




ぶっちぎりで長生きをした子供が一人。


添え物のような書き方をしていた、5女姫の4男・佐竹宣隆です。

彼は最終的には兄・貞隆亡き後岩城家を継ぎ、唐突に出てくる真田幸村の娘を嫁にし、1678年まで生きます。
82.jpg
95歳です。

おそらく、伊達11兄弟の子供の中で一番の長生きでしょう。









もちろんこれらはすべて、正史とは限りません。
俗説もかなり混じっていると思います。

それでも
乱世の時代、皆、生死をかけて打つ手を打ち、全力で生きた彼らの人生の一端は見えてきたのではないでしょうか。
脇役など一人もいない。
そんな物語、これにて

終焉!
漫画
前回からの続き。


伊達政宗はエリート蘆名の会津を手中に収め、須賀川城も落とし、さらに石川昭光も政宗に従いさせ、岩城家も和睦します。
63.jpg

64.jpg


政宗が佐竹5女姫以外の伊達11兄弟を手中に収めた所で、
秀吉というバケモノが日本全部を手中に収めてしまい、奥州の中で領土奪っただの奪われただの兄弟必死で争い、頑張ってきたにもかかわらず、すべて秀吉の一声で決まっていきます。


蘆名の領土は蒲生氏郷に。
伊達政宗は大崎に。
石川は大名とみなされボッシュート
佐竹は安泰、
留守は大名とみなされボッシュート
岩城は安泰
国分は政宗のおまけとみなされ安泰


岩城家は安泰だったものの、岩城常隆は小田原で病死。
65.jpg

66.jpg
臨月だった阿南の娘は、岩城家を仕切っていた佐竹に追い出されます。5女姫の3男、佐竹貞隆が岩城家を継ぎます。
阿南の娘と無事出産した息子がこれ以降どこにいたのか記録が途絶えます。
再び記録に現れるのは1607年のこと。



岩城家に身を寄せていた阿南姫は今度は佐竹義宣のもとで世話になります。
67.jpg
阿南姫に引き取られていた養女は、義宣の側室になります。
が、後年、何故か強制的に離縁させられます。謎です。


さて。
ずっと登場しなかった、成実の母・次女姫は夫・実元が伊達政宗とともにしていたので、阿南や、彦姫のようなお家騒動はありませんでした。ずっと実元と一緒に暮らしていたと思いますが、実元は1587年病死。
夫・実元が奪って住まっていた八丁目城も秀吉の一声で廃城に。
61.jpg


その1年後、1591年、場所は不明ですが次女姫が病死します。
69.jpg

伊達11兄弟で4番目の死。

この時期、成実は伊達家臣のトップの座を石川昭光に奪われます。



終焉に続く
伊達家の歴史
前回の続き。


ネオ蘆名家の姫が一人、二階堂家の未亡人となった阿南姫のもとに養女に行きます。
阿南姫の息子、盛隆(美少年)の娘ですから、孫を養女にし、二階堂の居城・須賀川城の女城主になります。
55.jpg


一方、
ネオ蘆名家の当主となった蘆名義広は、実家佐竹家と、叔母二階堂家とタッグを組みじわじわと領土侵略にやってくる伊達勢と戦います。
49.jpg

伊達政宗は四面楚歌状態なのに、なんとかしのぎます。
仲裁したのは、妻が佐竹・石川昭光と、母が佐竹・岩城常隆です。


中央では秀吉が天下を掌握し、勝手に戦しちゃダメよ命令を出します。
佐竹も蘆名も秀吉に同意します。
51.jpg

なのに伊達政宗はお構いなしです。
迷惑です。
52.jpg
国分盛重は小次郎を伊達家の当主に推します。



佐竹・蘆名は秀吉との約束もあるけど、やってくる政宗にも黙っているわけにはいかず戦います。
50.jpg


総大将蘆名義広はネオ蘆名家2年目の14歳。家臣もまとまりなく、戦に敗れて、蘆名の本拠地・黒川城を棄てて母・佐竹5女姫の元に帰ります。
54.jpg
この時同行したといわれる、天海上人。

天海上人とは、この後に徳川家康と深い関わりを持つことになる人物で、100歳以上生きていたという謎の僧です。
エリート蘆名一族の出身だったと言います。
53.jpg

彦姫もこの前後に心労で死んでしまいます。
58.jpg

摺上原の前にはもう死んでいたという話もあります。
伊達11兄弟の中で3番目に死んでいます。
※3女益穂姫の没年が不明なのでそれは考えないことにして・・・。


佐竹家に落ち延びる最中に、蘆名におじゃましていた畠山国王丸は足手まといだといって殺されます。



かくしてエリートの領地を奪った政宗。

56.jpg


ついでとばかりに、須賀川城も攻めたてます。成実が攻めたてます。
59.jpg
阿南姫は自害しようとしますが家臣に止められ、城を政宗に明け渡し、バリバリ須賀川二階堂家消失。
娘の嫁ぎ先の岩城家におじゃまします。

60.jpg
この姫が、後の伊達成実の妻となるのはもっとずっと先の話。


その5へ続く
伊達家の歴史

気がつけば満開

2013/03/22 Fri 19:04

いぜんちょこっと、政宗の上屋敷で甲冑花見やろうって言ってましたが、ゆだんしてたらもう満開ですね・・・。

・・・・。
未分類
 | ホーム | Next »

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。