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目黒区 旧前田侯爵邸洋館

2013/06/28 Fri 00:58

さて。

前田さんの本宅、洋館へ行ってみましょう。

和風の小道を抜けるとそこはフランスだった。
旧前田侯爵邸洋館6

ででん。

でっかいです。
想像よりでっかかったです。

ちなみに無料です!

ではそそくさと中へおじゃまします~。
まず目に付くのが洋館には必須のうねる階段です。

旧前田侯爵邸洋館7

緋色のじゅうたんです。
殺人事件が起こった現場です(うそ)

こちらにもガイドさんはいるのですが、時間が遅かったため、今日はおしまいと言われちゃいました。
一人でぶらり散歩です。
ちらほら人がいます。貸し切りではありませんでした。

旧前田侯爵邸洋館3

旧前田侯爵邸洋館2

旧前田侯爵邸洋館9


立派ですね。

いっぱい部屋があります。
でも家具はないので寂しいです。

さて。
部長が好きなポイントは、ゴチャッとした裏です。
旧前田侯爵邸洋館1

階段が好きです。
旧前田侯爵邸洋館4

旧前田侯爵邸洋館5
窓から見る中庭なんてものは、たまらないですね。

そして、馴染み深い和室6畳間もあります。
旧前田侯爵邸洋館8
女中部屋です。

お屋敷の中でも水回りと御女中部屋は特に好きです。



立派な部屋は、完結しきっていて、想像の余地がありません。

前田邸


まるで雑誌の表紙です。
作ってみました。

gekkann-前田邸
定価1280円、ってとこでしょうか。


日本の洋館はやっぱり和風です。
日本に点在する洋館はだいたい同じイメージです。
横浜の洋館もデザインは違えど雰囲気は同じです。
フランスとかイタリアの住まいとは違います。
そもそも建っている年月が違います。
こっちは明治以降、たかだか150年。
ヨーロッパで150年など超新しい物件です。
400年とかいっぱいです。

だから洋館が劣る、ということではなく、日本の洋館は日本建築の様式なのです。


そして屋敷の説明書を見て知りました。
フランスではなく、イギリスでした。
イギリスのチューダー様式を取り入れているそうです。


チューダー様式とか、部長が解説するとぼろが出るのでググってね!




そしてついでに近くの日本民芸館へ。
こちらは1000円。
ちょっと高いと思ったけど、旅行です。旅先ではケチりません。入ってみました。
日本民藝館

なかなかいい作品がありました。
地獄絵図がいっぱいです。
どうして地獄は西洋東洋同じイメージなのでしょうね。
「地獄」という共通概念が世界中にあるのも不思議な話です。

ここも、存在は知っていたけどあえて行きたい場所でもなく、今回立ち寄ってみたのは正解だったかな。


そんなこんなな目黒旅でした。さんまは食べなかったけど。
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旅行記

目黒区 旧前田侯爵邸和館

2013/06/27 Thu 20:37

久しぶりに建物の旅です。

今回は井の頭線駒場東大前の旧前田侯爵邸へ。

昭和の洋館がある、という情報はなんとなく知っていましたが、近いと行かない不思議な習性で、
井の頭線に住んでいた時には行ったことがありませんでした。


雨上がり、ふいに、ショートトリップがしたくなり、出かけてみました。


洋館の他に和館もあると初めて知りました。
何の情報もないままふらりと訪ねます。

いい門構えです。
旧前田侯爵邸和館4

ちなみに無料です!

中に入ると、デカイ広間が2部屋、誰もいません。
部長得意の貸し切りです。
旧前田侯爵邸和館1

旧前田侯爵邸和館3


2階もありますが他は見学できないので、中庭に向かって広縁でゆったり座ってしばし。

旧前田侯爵邸和館2

旧前田侯爵邸和館8

人の気配もなく、車の音もなく、聞こえるのは鳥の声と小さな滝が流れる音だけ。
都心にあって、なんという贅沢な!
あまりにも心地が良い。

外の直射日光は暑いが、室内は風が通って涼しくってめっちゃ気持ちいいです。


ざあああああああああ

ぴちゅぴちゅ




20分くらいぼへーっとしていたでしょうか、
他にも見学客がやってきたので立ち上がり、帰ろうと思ったらガイドさんがいる日だったので
説明してもらってびっくり、
この前田邸、あの前田さんちでした。

加賀百万石の前田さんです。

知りませんでした。
だからここも東大があるのか??

話によると、当時の当主が昭和初期に、都心を嫌って本郷を引き払い田舎(駒場)に越してきたそうです。
で、この和館は、外人さんを呼んで、日本の文化を紹介する、カルチャースクールとして建てたというのです。

だから、生活スペースはありません。

和室も典型的な武家屋敷の作りだそうで、言われてみれば、欄間や、床の間なんかが、そうだったのです。
戦時中、隣は焼けちゃったけど、こっちは幸いにも空襲を逃れ、戦後はGHQの支配下にあり、それがむしろ建物として残った大きな要因の一つであり、占領下にあったことは悪いことばかりではないと説明がありました。

上の写真のシャンデリアは、GHQがくっつけちゃったそうです。
見事な襖絵もあったのですが、アメリカに渡すものかと、本家、加賀に隠したそうで、今も加賀の博物館に眠っているのだとか。もうそろそろ戻しても大丈夫じゃないかな。




で、ガイドさんが入れない小部屋を案内してくれ、戸板の絵を見せてくれました。
旧前田侯爵邸和館7

で、洋館(前田さんのお住まい)に続く渡り廊下があることも紹介してもらいました。
旧前田侯爵邸和館6

建物の隙間。好きな空間。
旧前田侯爵邸和館9

見学を終えると丁寧にお辞儀をしてっくださったガイドさん。
ありがとうございました。
旧前田侯爵邸和館5



思いの外、面白かった和館です。
庭にはもみじがあり、秋が一番美しくその間、特別展示や2階も開放するそうです。
むむ!行かねば!

ただし、めっちゃ混むそうです。平日がいいですよ、と、教えてくれました。



そんなこんなな、旧前田侯爵邸和館でした。
すっごい和むよ!

一般利用も可能なので、イベントもできる、今もカルチャーセンターとして機能しています。
http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/sports_koen_yoka/koen/omoshiro/komaba/

いいなあ。なんかやりたいな。
旅行記

伊達11兄弟物語 仁義編2

2013/06/19 Wed 03:54

石川昭光という人物がいます。


伊達兄弟の7番目、4男です。

14歳の時に石川家に養子に入り、
同じく石川家に養女になっていた佐竹の娘と結婚します。

ウイキくらいしか調べていませんが
印象では、どうにもならなくなった石川家を昭光に丸投げしたって感じです。



で、なんだかんだで、頑張ってる昭光です。
時には伊達に、時には佐竹にとつきながら、生き延びるのですが
ついに政宗の支配下になり、更には秀吉の奥州仕置で石川家は没収されます。


90.jpg

91.jpg

92.jpg

93.jpg



どういう経緯かは不明ながら、伊達にたてついていた石川家はやがて政宗の一言によって伊達家一門のトップに収まります。
輝宗亡き後の年齢順ということでもありません。
長男・岩城親隆は病弱だったので差し引いても
ずっと伊達に味方していた3男の留守政景もいます。
それまで実質トップだった伊達一筋の成実の立場もありません。

このことも原因の一つとなって成実は伊達家から姿を消すのですが、
帰参した時には石川家の客分となっています。

政宗の娘(溺愛)を石川家に嫁にやったり、
昭光は随分と政宗からも大事にされていたようです。

石川昭光、謎の人です。


幕末、仙台藩は負けちゃいます。
石川家も存続の危機です。
室蘭を開拓したのが石川家です。
漫画

甲胄用袴ができました

2013/06/17 Mon 23:55

甲冑袴のオーダー品が出来上がりました!

今回は尾張一宮武将隊の、なんと浅井長政様よりの注文品です。

甲胄用袴制作2

甲胄用袴制作

もともと馬乗り袴だったものを戦えるように改造しました。
一見新品ですが、一旦全部ほどいた時に袴の帯から新聞紙が出てきて、日付を見たらなんと昭和50年。
5385_443543902409292_919817549_n.jpg

結構古いものでした。
けど、色あせ、傷、全くないいい出物でした!





浅野長政といえば・・・。
そうです、忠臣蔵の元凶となった政宗絶交事件です。

しかし部長はどこの武将とも絶交してません。
オーダーしたい武将の皆様、ご安心を。
武将の衣装のご注文はお気軽に!

自作甲冑クラブしげ部
http://shigebu.minibird.jp/

甲冑
前回お届けした伊達輝宗兄弟物語ですが、

こちら
http://sigechannohe.blog.fc2.com/blog-entry-330.html

気に入っているので勝手にキャラ化して不定期でお届けします(予定)。
東北弁わからないので関西、広島中心にしとくけえの!


史実とかはもう関係ないよ!
部長の殴り書き漫画だよ!


それではスタート!
時は弘治、天文の乱が収まり輝宗が元服したあたり(アバウト)
場所は引っ越して間もない米沢城(たぶん)



88.jpg

89.jpg

87.jpg

86.jpg



長女阿南のだんな、二階堂盛義は輝宗と同い年です。

次女の名前が不明なので便宜上「次子(へご)」と命名しました。
しげちゃんのお母さんですね。

この時の将軍足利義輝は松永久秀の傀儡となっていたのです。
そして後に暗殺されちゃいます。
そんな死に体の足利将軍家から、東北界隈で大名と認定されていたのは
蘆名家と伊達家のみです。
まだまだその程度です。



いつの日にか続く。
漫画

成実さんから

2013/06/14 Fri 05:17

121216_1621~01

白石で某武将隊を努めておられる伊達藤五郎成実(毛虫先輩)さんから
お写真頂きました。

立派です。

立派な毛虫です。


まるで角です。

成実が二人いたら闘牛(闘虫)が出来ます。
闘牛成実

白石で「成実帰還記念杯・闘虫合戦」やりませんか??

頭につけた毛虫が最後まで折れなかった成実の優勝です。




私信:餃子の食べ過ぎにはご注意ください。
成実
しげ部なので、たまには成実の話をしましょう。


よく言われる、成実の兜の前立、
毛虫なのかムカデなのか。


今の時点では、毛虫です。


ムカデは、ドラマの影響で普及したデザインです。
仙台のおもてなし武将がかぶっているムカデもドラマのデザインが由来です。
ちゃんと、毛虫の前立バーッジョンもあるのですが、風に煽られるのでほとんどかぶらないそうです。
実は部長の作った毛虫兜も安定しないので、困っています。

RIMG8516.jpg
部長作:伊達成実公兜


白石の片倉武将隊の成実(本人と撮影した友達から拡散希望の写真)
武将隊

仙台駅のSuica成実
成実Suicaペンギン



いずれもムカデです。







では現在見られる前立を紹介しましょう。

まずは亘理町の伊達成実御霊屋にある木像
伊達成実の前立て3

一見左右にしか毛が生えていないように見えるので、ムカデのデザインになったのではと思われます。
よく見ると四方から生えています。

これをデザイン化したと思われる、亘理町のキャラ「しげざねくん」
伊達成実の前立て2

触覚がついたムカデになっちゃってます。


北海道伊達市の成実(伝)甲胄の前立
伊達成実の前立て4

毛虫です。
しかし制作時代がおそらく江戸中期ではなかろうか・・・。
そうはいっても、元のデザインを伝承したならば、立派な毛虫です。


仙台市博物館の伊達成実像
伊達成実の前立て1

毛虫です。よく見ると、毛虫には縞模様も付いてます。
小さいです。
いつ描かれたのかは不明ですが、成実の死後であることは確実で、木像との共通点が多く、木像を基に描いたのではないかと勝手に推測します。


伊達市にある兜の前立はでっかいです。
肖像画と木像は小さいです。
武将隊が風に煽られてかぶらないのは、大きな前立です。

では。
実際に成実が着用していた兜の前立は、小さな毛虫だったのではと思うのです。
成実も殿ですから、足軽のように戦ったりすることは少ないにせよ、
それでも結構前線で活動していたこともあったでしょう。
博物館のようにデカイとジャマ。
木像がおそらく一番年代としては成実に近い。
この程度の大きさの兜があったのではなかろうか。


この肖像画に描かれてあるくらい、小さな毛虫が乗っかった亘理伊達家由来と思われる兜の写真(資料)がある、らしいのです。


実物がないのか、どこかにあるけど見向きもされずに蔵に眠っているのか。
眠っているならいいけれど・・・。



下の写真は有名な亘理宗実の「也」の甲冑、ではなく、
おそらくこちらが本当の宗実所用と思われる甲胄です。
白石宗実甲冑

お膝元の登米にあったのですが、台所事情により売りに出してしまい、以降行方が知れないそうです。


そういった事例はおそらく明治、昭和の戦中戦後に山のようにあると思います。


~友人の話~
家には戦中も誰にも渡さず大事にしていた由緒有りそうな刀があったが、その後、ジャマなので捨ててしまったという。



そういった事例もまた、非常に多いと思われます。




さて。最後に。
成実の子孫が開拓し、現在も殿様ももちろん、家臣筋の多くの方が住んでいる北海道伊達市の封筒です。
伊達成実の前立て5



・・・・・・・・・・・・・。



政宗でいいのか??
伊達市よ!!!
成実
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