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古内重廣(美少年)

2013/08/31 Sat 13:38

前回、瑞宝殿の灯籠の話で出てきた古内重廣さんって誰だろうとお思いのあなた。

こんな人です。


古内重広2

古内重広

国分盛重の末子で、政宗のいとこです。


「伊達11兄弟物語」国分盛重の回で、国分が出奔したときに政宗から命を狙われたこともなく、
と、書きましたが、狙われた可能性はあったようです。

政宗に追われて、幼い平蔵は山中に逃げます。
平蔵の姉夫婦、古内実綱に育てられ、家督も継ぎます。


重廣20の時に狩りに来ていた政宗の前に召しだされます。
彼の優れた馬術を見初めた政宗は、息子の騎馬指南役を命じて以降伊達忠宗に仕え、かなりの家格となり、宗忠が亡くなるとその日に追い腹します。



信ぴょう性はよくわかりませんが、重廣は大層な美男子で
なんでも彼が仙台城に出仕した時には大手門に女達が鈴なりになったとか・・・。



政宗が見出したのは馬術だったのか、政宗センサーが働いたのか。



政宗センサーが働いたおかげで、重廣は忠宗のもとで頭角を現し、
その後も新田開発事業のための水路を整備したりして、その有能ぶりを大いに買われたようです。

追いやった家の子供でもちゃんと能力を買う政宗のちょっといい話・・・ということで。
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漫画

瑞鳳殿の伊達成実の石灯籠

2013/08/30 Fri 02:34

昔とったコピー資料の中から、
焼失前の瑞鳳殿に家臣が寄進した石灯籠の配置図が出てきました。

寄進者は

1伊達利宗(水沢伊達家)
2伊達成実
3伊達宗定
4石川宗昭
5伊達宗実(伊達右衛門太輔宗実)
6石母田宗頼
7白石宗貞
8日理宗根
9中嶋意成
10茂庭良綱
11片倉重長
12津田頼康
13奥山常長
14古内重廣
15佐々元綱

の名前があります。
番号は部長が図と照会しやすいようにふったもので、意味は無いです。

で、部長が描いた配置はこちら。
瑞鳳殿焼失前灯籠


うおう!

全く気が付きませんでした。瑞鳳殿2回も行ったというのに・・・。
そしてこんなコピーを取っていたことすら覚えてませんでした・・・。



しかし偶然にも部長は写真に収めていました!
なにを、って、もちろん伊達成実が寄進した灯籠です。

これです!

瑞鳳殿焼失前2
この廊下の柱の隣で光があたって見えにくくなっている灯籠です!
の、はずです!



瑞鳳殿焼失前1
現在は復刻していない、渡り廊下の左手に成実の寄進した灯籠があるのです。

この古い写真は、春に瑞鳳殿に行った時の展示していたパネルです。



灯籠のことなど考えたこともなく、確かにそういうものはゴロゴロしていました。
そうか・・・。
政宗が亡くなった時に寄進したものがあったのか・・・。


では今もあるのかといえば、
ぐぐってみたところ、しげちゃんのはない。

基礎だけはあるようです。
このブログに写真がありました。
http://ameblo.jp/takara0123/entry-11262965714.html


ぬ~。

本殿と一緒になくなったようです。

瑞鳳殿が完成したのは政宗が亡くなった翌年寛永14年10月。
寄進した日付は寛永14年5月24日がほとんどですが、
成実は同年9月24日です。

でも一門トップの石川家よりも本殿に近いところにあるということは、
やっぱり意味があるのかしら。

成実
杉目直宗。

杉目直宗4

杉目直宗3

杉目直宗2

杉目直宗1


伊達晴宗の11番目の6男。末子。
生年月日不詳。
1584年6月10日死亡
通称宮内
子供はいない
輝宗が当主となり、父とともに米沢城から杉目城へ移り、晴宗がなくなると杉目城主となる。
留守政景とともに山形城の援兵として赴く。
若くして死亡


得られた情報は以上です。




男子なのに生年月日が不詳で、記録がない。
うーむ。

10番目の子供、国分盛重が生まれたのが1552年なので
それ以降の生まれ。
母、久保姫は1521年生まれ。
長男岩城親隆が1537年生まれ。
16歳から31歳までに10人産んで、最後はいつか。

1553年生まれとすると死亡したのは31歳。
若くして死亡というほどの年でもない?


晴宗が杉目城へ引っ越したのが1570年。
17歳と仮定して、それまでにどこにも養子に出さなかったのはなぜか。
もう少し幼いのか。

晴宗が死んだのが1578年。
杉目城主となったのを25歳と仮定して、城主として結婚していなければおかしい。
妻の記録がない。
もう少し若かったのか。


久保姫の出産可能な範囲で適当に1559年生まれにしてみよう。
元服前の11歳で両親と杉目城へ移った。
18歳で城主となった。
25歳で死んだ。

イメージ的にはしっくりくるかな。

妄想はさておき、
なぜ記録がないのか。

伊達家にとって不利益があったのか。
子供もいないし戦場での働きもないしで、書くことがなかったのか。

いっそ伊達に歯向かっていれば記録は残りそうなので、トピックスがなかったんでしょうかね。
病弱だったとか。
結婚もしていないかもしれないです。

でも山形城へいった。
1574年の天正最上の乱の事でしょうか。


記録がないとはいえ、確実に生きて生活をしていた直宗。

兄弟いとこの誰よりも美丈夫で謎の死を遂げたという物語を作れば一気にスーパースターになれるのかしら。
そして杉目城(現・福島県庁)は、聖地となるんでしょうか。

それは楽しい・・・・。



漫画
唐突にやってくる「伊達11兄弟物語」

今回は国分盛重です。


10番目の5男坊です。
幼名を彦九郎。
なぜ彦十郎ではないのだろう。

政宗は長男だけど藤次郎とか、
成実は長男だけど藤五郎とか、関係ないんですね、きっと。

国分盛重3



さて、なんとなく嫌われがちな描かれ方をされる国分盛重ですが、
輝宗の策略により、国分家へ養子に送られます。
しかし国分家では、彦九郎では不満があったらしく、
輝宗は「自分に次男が生まれたら国分に養子に出すからそれまでの間の(仮)でよろしく」といって、丸め込みます。


国分盛重2


結局小次郎は国分には行きませんでした。
盛重は、政宗を廃して、小次郎を伊達の跡継ぎにするよう働きかけますが、それも結果として失敗します。


時はちょいと流れて、政宗と蒲生都の間に不穏な空気が流れると、蒲生の命は狙っていない証として人質に国分盛重を引き渡したら
「伊達成実でないとやだ」といわれて、成実も蒲生の人質として名生城で過ごします。
2人はすぐに帰されました。

国分盛重1

国分から姓を伊達に戻して政宗に仕えます。
盛重は成実が出奔した後に、姉の5女を頼って佐竹に出奔します。
理由はわかりません。

その後はずっと佐竹家に使えて秋田に行って横手城を与えられて一生を終えます。


浪人になったわけでもなく、
政宗の追求にあって命を狙われた感じもなく、
幸せな一生だったのではないかと思います。


うん。
漫画

愛姫のファッション2

2013/08/24 Sat 12:50

前回お伝えした、めごちゃん所有の具足下着ですが、

どうやらめごちゃんのもののようです。


どこかで読んだめごちゃんのモダンな服の記事。思い出して読みなおしてみたら
復軒雑纂の中の「伊達政宗夫人田村氏の話」にありました!そしてこのスケッチのことでした!


記述の服とまさかお目にかかれるとは!!


以下引用~
夫人が非常の折の着服として?す、黒かのこ絞りの繻子地に花筏と碇とを繍にし、碇綱を金糸にて全身にからめ散らし、丈はひざ下に及び・・中略・・・筒袖なるが夫人の服としては世に異にして、その心のををしかりも、推しはかりて余りある。
~引用終わり


と、あります。
?は、読めない漢字です。スイマセン。繻子とはググるとサテンのような光沢のある布って解説がありますが、テロテロに薄いわけではないと思われます。明治に描かれたスケッチを見てください。

http://image.tnm.jp/image/1024/C0035203.jpg
東京国立博物館





うーむ。政宗の服ではなく、愛姫所有(伝)なのか。
そして綱の部分はキンキラキン。
黒ベースにキンキラキン。
裏地は朱色ですよね。


この服は明治に三井呉服店の展覧会に出品されていたそうです。
多分、今の三越デパートのことだと思うんだけど・・・。
もうないのかなあ・・・・。
どこかにあるのかなあ・・・。
せめて写真はないのかなあ・・・。


出品したときに箔をつけるためにめごちゃんのものにした可能性はなくもないですが、とにかく政宗のではなく愛姫のものです。


政宗も敬意を表していたという「ををしき」女性像を見た気がします。

有事の愛姫
服の碇が鎌に見えた部長です。



さて。ネットで「火事の際に腰から色んな物をぶら下げて脱出する愛姫の話」を見た気がするけど、探せないです。どなたか御存知ですか?

母親に似た女性を妻にするとよく言われてますが、結果としてそうなの?政宗よ。
政宗の歴史

愛姫のファッション

2013/08/22 Thu 18:16

まずはご覧ください。

愛姫の小袖
画像提供:東京国立博物館


東京国立博物館の画像検索にありました。


「伝伊達政宗夫人所用」とあります。
愛姫のことでしょうか。


仮にめごちゃんのものだとすればどうですか。この柄!!



手紙ですよ!

メールのマークのようですよ!


政宗からの手紙でしょうか。
というか、当時こんな手紙の折り方してましたでしょうか。


手紙じゃないのかな。

めごちゃん、洋装のような着物を作っていたという話もあるし、モダンすぎる発想の持ち主なので、こうやって手紙折っていたのかも??


更にhttp://webarchives.tnm.jp/imgsearch/indexで伊達政宗と検索すると、同じスケッチ画で「具足下着伝伊達政宗夫人所用」が出てきます。

政宗具足下着


モダンです。
グッチとコラボした荒木先生の魁にも見えます。



しかし、めごちゃんの甲冑用の下着ってことは・・・ないですよね??
いや、戦国武将の妻として、めごちゃんも甲冑一式持っていたんでしょうか。
ドラマ独眼竜政宗では義姫がマイ甲冑で立てこもるシーンが描かれていました。

政宗の下着をめごちゃんが持っていた、ってことだと思うんですが違うのかな??


追記:次の記事に続き書きました


めごちゃんが縫ったと思いたいです。


それにしても政宗夫人という言い方がなんだか新鮮です。
政宗の歴史

姫路へ

2013/08/21 Wed 01:25

行ってきました、姫路へ。
まだまだ夏休みの余韻か、満席のひかりを新大阪でこだまに乗り換えたらほぼ1両貸しきりだったです。
こだまよ・・・・。

こだま


さて、姫路と伊達とは無関係です。仕事で行ったのです。



無関係ゆえ遊びに行くにはノーマークだった姫路です。
せっかくなので観光パンフにあった「ラストサムライのロケ地」だという古そうな建物に惹かれて圓教寺へ行ってみました。


姫路駅から路線バスに乗ってさらにガイド付きのロープウエイで山の上までゆらゆらと。
着いたらお寺さんがあるのかと思いきや。


あるのは入場チケット売り場です。
東北の名もない史跡めぐりに慣れていると全部無料なので、寺に入るのに入場料を取るシステムに戸惑うのです。よく考えたら有名なお寺はだいたい有料です・・・。

瑞鳳殿も有料です。
しげちゃんの大雄寺は無料です。
部長の中では超有名スポットです。



話は戻ります。
入場料を払ったら窓口のおばちゃんから「バスが500円でありますよ。急な坂道きついですよ」
と、よくわからないインフォがありました。


話を聞くと(他に人がいないからゆっくり聞ける)お寺本堂まで1kmくらいの坂道だと言うじゃないですか。
なんだってーーーー!!!


よっぽどバスに乗ろうかと思いましたが、ここは徒歩です。
徒歩と書いて「かち」と読む方です。


貧しい民は、駕篭(バス)には乗れません。
歩きました。
歩き始めて1分で後悔しました。


暑いしきついし。



でも部長は徒歩です。
なぜならば旅先では何故かMになる部長だからです。

快適な旅など、一瞬で忘れます。
きつい旅ほど思い出深いのが部長の旅の真骨頂です。

真夏の関西の山道を歩きました。

圓教寺10


なんだか時代がずれてきました。
武家屋敷のようなものが。
圓教寺7

日焼け止めも消えるほどに汗をかいた頃に着きました。
圓教寺です。
圓教寺8


古い!古いです!

ノーマークゆえ、歴史背景がわかりませんが、ありがたそうなお寺です。
懸造りということです。
おお、仙台城の本丸にあったやつですね。
仙台城
※注意・圓教寺の看板ではないです。仙台城の看板です。
 



話は戻ります。

そこから更に奥へ行くと、「ラストサムライのロケ地」としてやたら宣伝していた場所が現れました。


うひゃーーーー!!

カッコイイです!!!!!

圓教寺4

圓教寺3

圓教寺1


全景が写せないんですが、コの字型に建物が配置されていて、なぜかスペインを思い出しました。


とにかくかっこ良すぎるこの3つの建物です。
ビバ!日本!!

中にちょっとした史料館のように仏様やら瓦やらが展示してあります。
そこに「弁慶の机」ってものがありました。

弁慶?

そういえばお寺の入口にも「弁慶の石」という1mくらいのデカイ石があって、
「弁慶がお手玉をして遊んだ」と書いてありました。

まあ、よくある伝説です。気にもしなかったんですが、
どうやら8歳から10歳の間、弁慶はこのお寺にいたらしく、
当時えらく悪戯で、その悪戯が元で、お寺が全焼して逃げたんだとか。

ひどいよ、弁慶・・・。

それが後に京の五条の橋の上で牛若丸にやっつけられて、平泉で義経をかばって死んじゃうわけです。
かなりお伽話バージョンです。

ついでに言えば、その平泉で死んだとされる場所に「義経堂」を建てたのは4代目仙台藩主です。




そんなことより、この3つの建物が非常にいいです!
和む場所です。
ほぼ貸し切りです。

外の気温は熱いんですが、寺の中は風が通ってすっごい気持ちがいいです。
ぼんやりすることしばし。

紅葉がいっぱいです。
紅葉シーズンは激混みするらしいです。
圓教寺6

景色を取るか、人気(ひとけ)のなさを楽しむか。

それは人それぞれです。

さらに色々ポイントは点在していて、
圓教寺9

圓教寺11

こんな道を歩くのです。



帰りもロープウエイの乗り場までバスは走っています。
でも徒歩です。

圓教寺2



「残すのは思い出と足あとだけ
ゴミは残さず持帰りましょう」

ベンチに残された見知らぬ人の思い出は、
「めっちゃ暑い!」だったのかもしれません。


旅行記
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