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出来ました!

桶側胴の製作キットです!

桶側胴作り方3
こちらは組み合わせの例です



中身は、
プラスチック素材と実物大型紙、制作説明書です。

kap-81.jpg
桶側胴の基本セット 胴と草摺の作り方


現在用意しているサイズは
135~150cm
150~170cm
~185cm
それ以上はご相談ください


そして
筒型籠手
kap-83.jpg



更に亀甲脛当
kap-82.jpg


こちらも新しく増やしました!


筒型脛当と袖もよりわかりやすく、いい形にリニューアルしましたよ!


ちょっとずつですが進化するしげ部の自作甲冑キット、
楽しんで制作してくださいね!!!

自作甲冑クラブしげ部



内部事情をお話すれば、ショッピングカートを置こうとしたんですが、どうしても反映しない!!
ううう。
なので、苦肉の策のチェックリストです。


ウエブページ制作は困難の連続です・・・。
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甲冑

会津若松の伊達の足あと

2013/09/26 Thu 01:58

久しぶりに伊達家の足あとを追った旅です。

今回は会津若丸、黒川城編!


これです!
黒川城1


今はすっかり鶴ヶ城としておなじみの、八重の桜だらけの黒川城址です。

だがしかし、しげ部的にここは黒川城であり、伊達政宗が南奥から関東へ下る進出の第一歩として葦名から奪い取った夢の居城なのです。

葦名、スマヌ!


伊達家にとって葦名家とは憧れの存在だったのではないかと、勝手に思っています。

名門葦名。
和議を結びながら、じわじわと伊達の血を送り込む種宗晴宗輝宗。

ついにはその血を断絶させ、憧れの領土を奪い取った政宗。


喜びの頂点に達した政宗24歳、成実23歳。


葦名を追いやった後、城にほど近いでっかいお寺をひと月ほど仮宿にしていました。
それがこの興徳寺です。

興徳寺1

興徳寺3

興徳寺4

興徳寺5


・・・・・・・・。


伊達のだの字もありません。

興徳寺2
成実はきっとこのベンチに座っていたことでしょう。


さて。その後政宗は黒川城に入り、家臣に屋敷を与えます。
ってことは成実も屋敷をあてがわれたはずです。

どこに!


葦名時代の家臣の屋敷は現在の県合同庁舎や裁判所があった付近にあり、空になった屋敷をそのまま利用したようなのでおそらくこの辺りの何処かだと想像されます。
黒川城家臣屋敷

どこ~!?


謎です。


そもそも会津に伊達の足あとはないに等しく、しかしそれは1年余りの支配という期間を考えれば仕方ないことです。
が、葦名の足跡までもがまるっとない方が寂しいのです。

負けた家の歴史は自然と上書きされるもの。
仙台とて、政宗以前の歴史は誰も見向きもしないのです。
国分などなかったのです。

そういうことです。


そんな中
唯一「伊達政宗」の棒と看板が!

会津若松1

うおう!

政宗毒殺現場1


政宗、命危うしの地、です!!

オカーチャンに毒殺されかかった現場だというのです!
地元にずっと暮らしている人もこのへんはしょっちゅう通るけど政宗の看板があることは知らなかったと言ってました。


城から西へ歩いて約1.3キロ。
義姫の館があったのではと言われている場所で、今は目印として古館稲荷神社があります。

でも、黒川城内の西の丸にあった屋敷じゃないかともいいます。
黒川城3
氏郷が入る鶴ヶ城以前の城の構造

要はわかんないのです。



毒殺も捏造だという説が濃厚です。


さて。
では小次郎を切った現場はどこなのか。

小次郎の傅役、小原縫之助の屋敷であるといいます。どこなのか。
まるでわかりません。

会津の民謡に会津磐梯山がありますが、この歌詞に出てくる小原さんとは無関係のようです。



葦名の菩提寺であり、政宗も伊達家の菩提寺とした天寧寺も、今は近藤勇の墓として有名です。

政宗は戦争に備えて会津の要害を固めようとしている矢先に、まるっと秀吉に手玉に取られ、
会津を追われ、政宗の見張りとして送り込まれた蒲生氏郷!

政宗の憧れの地はレオン氏郷にとっては悪夢の左遷!
しかしながら会津の城下町を綺麗に整備したウッジー氏郷!

そんな風に、会津における伊達家はアウエイ感いっぱいな悪者顔の存在なのでした。

旅行記
描いてます。書いてます。

桶側胴の作り方と型紙です。


桶側胴の作り方説明

40ページくらいになりそうですが、
なぜか3倍くらいの原稿が・・・。

途中でプリンターも壊れました。
さよなら、プリンター。
買いました、プリンター。
こんにちは、プリンター。
しかも同機種の中古です。
新しいのは機能が嫌いだったので、使い慣れた中古を買いました。




とにかく、甲冑の「か」の字もわからない方でも作れるようにと、イラスト三昧でお届けしているしげ部の甲冑製作キットです。

既成品では体に合わない方にも着られるように、サイズ変更の仕方なんかもあります。


10月販売を目標にしています。
楽しみにね!



雪の下胴と南蛮胴は販売中ですよ!
甲冑教室の講師も承ります。
詳しくは「自作甲冑クラブしげ部」で!
http://shigebu.minibird.jp/
甲冑
部長はオタクです。

オタクでなくてもwebも見るし、必要な物はダウンロードします。
YouTubeも見ます。

で、うざいのが広告。
画面の下に出る広告。
動画が始まる前に出る広告。

消せます!


WEBで最近特にウザイのがエ●ゲの広告や、お使いのパソコンがクラッシュ寸前です的な悪質広告。

消せます!


どれが目的のボタンでどれが広告のボタンなのかよくわからないことが多々ありますが、広告を消せばスッキリ一目瞭然!

方法はこちら!
http://milksizegene.blog.fc2.com/blog-entry-133.html
ちょっとド派手すぎませんか・・・?いい内容なのに読みづらいです。



上記のブログでも言っていますが、
確かに広告収入で成り立っているのだから、消すのはよくない。
しかしひどすぎるのです。本来のボタンが探せないほどの広告で埋まったwebページなど、うっかりクリックして悪質なサイトに飛ばされることもあるですよ!

あれです、街中に悪質な広告を貼ることが禁止されたように、web上でも早く禁止しないと、まっとうな広告も敬遠される事態になるのです。



未分類

歴史好きのパワー

2013/09/18 Wed 04:32

久しぶりに歴史スキーが集まる場所へと行ってきました。

その名もズバリ、歴☆女子会
です。

ドキ!女だらけの3時間!です。



皆様濃いです。そして恋です。
好きなもののためならば、どこへなりとも参る、は、基本。

奈良へ、関ヶ原へ、函館へ、会津へ。
いいぞ!その意気やよし!!


今武将ブームで全国でもお祭やイベントが盛んに行われています。
体裁だけ整えたイベントではなくどんなに遠くても行ってよかった、と思える内容であることが大事だと思うのです。

地元の人は当たり前すぎて気が付かない土地の魅力を、歴史を愛する彼女たちは知っているのです。
今はただのぼた山でも、単なる住宅地でも、かつてそこにその人物がいたのならば、そこは立派な観光地だし、好きな人物の名前が刻まれた棒があるだけで、人はその地へ行くのです。屋台も舞台もなくてもです。

部長は好きになった人物に関する土地へ行くのが大好きです。
書物よりも場所派です。
鉄道オタクでたとえるなら乗り鉄です。


・・・ちがうのか?




ともあれ、
史跡めぐりは楽しいものです。

1本の棒を書物やネットでゲットした情報を頼りに現地で発見する。
宝探しに似ているのかもしれないです。




1本の棒(宝)に会いに行くためだけに、車で連れて行ってもらった佐沼城。
佐沼



しげちゃんの足あとを追って、さて、今度はどこへ・・・。


旅行記

部長、広告を出す!

2013/09/13 Fri 19:52

出しました。
広告。

今月の歴史人です。



どどん!

しげ部広告


秋は甲冑制作に向いています!
休みもいっぱいです!

部長は土日祝日無関係なので、今月こんなに祝日があるとは気が付きませんでした・・・。


そんなこんなですが、しげ部の甲冑キット、よろしくです!
現在、桶側胴執筆中!!
桶側胴の作り方

うおおおお!

お知らせ

やっぱり政宗の具足下着?

2013/09/12 Thu 11:19

前回2度にわたってお伝えした、
愛姫の具足下着(画像と記事はこちら)ですが、さらに続きです。


具足下着というからには、甲冑の下に着る着物です。
普通に考えると男性のものであります。


データベースのタイトルには
具足下着伝伊達政宗夫人所用」とあり
愛姫が持っていた政宗の下着、と、解釈したのです。

しかし明治に発行された書籍の記事には愛姫本人のもの、的な解説があり、
え、愛姫の具足下着?
愛姫も甲冑着ていたの?

と混乱しました。



誰が着るためのものか??

しかしやはり、愛姫が持っていた政宗の下着であっているんではなかろうかと、
このページを見て思い直したのです。

似たパターンの具足下着の画像です。
文化遺産データベース
http://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=173684


解説には

女性用小袖を仕立て替えた具足下着。~中略~肉親の身を守護する願いを込め着衣を具足下着に仕立て替えたものであろう。

とあります。

そう考えると、例のスケッチ画像は、愛姫の着物をほどいて政宗の下着に直した、と解釈もできます。

いずれにせよスケッチ画しかなく、あくまでも(伝)なので、全く伊達家とは無関係な物件かもしれないです。
でも、仮にそうだとしたら、愛姫の愛情というか、伊達政宗の妻はあたくしですといった自信も感じられる逸品に思えますが、どうでしょう。
甲冑
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