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太鼓の達人 梵天丸VS盛隆

2013/11/27 Wed 01:03

こんな話があります。

天正3年、伊達家に仕えていた加納弥兵衛という太鼓の名人が、この時葦名家に滞在していた。

蘆名盛氏は、養子にした盛隆に太鼓を習わせようと、彼に稽古を頼んだが、なかなかうまくならない。
翌年、伊達家に帰るととなった加納弥兵衛。
慌てた盛氏は、輝宗に対して、来年の春まで稽古を付けたいので帰国を延期して欲しいと手紙を書く。


延期が許されたのかは記述がないのですが、
その後、盛隆はそれなりに上達したのか、盛氏は越後に「太鼓の皮」を発注しています。

輝宗の腹心、遠藤基信は葦名家に滞在中、能を舞ったという。
太鼓は盛隆だったでしょうか。
というか、遠藤さん、なんでもできるのか!ほれるぞ!


政宗は太鼓の名人であったようです。
政宗に太鼓を教えたのは果たして同一人物なのか。



政宗と盛隆が出会うことはなかったけれど、
二人の太鼓で舞う遠藤基信と伊達輝宗があったとしたら、うぬ!これはいい!

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伊達家の歴史
先日より制作していました、
竹中半兵衛人形が完成いたしました!!


竹中半兵衛像

竹中半兵衛像2

竹中半兵衛像4


甲冑は半兵衛の肖像画をベースに創作しました。


これから接着など少し寝かせて、オーダー主様のもとへ納品いたします。

制作のご依頼、ご質問ありましたら、HPよりお気軽にお問い合わせください。
自作甲冑クラブしげ部
アート

例えば伊達成実の生活

2013/11/24 Sun 04:13

伊達成実が好きで、伊達関連の色々な歴史を調べているわけですが、
どこで何があった的な年表はあっても、具体的な生活が描かれた資料がないのです。


身分で大きく生活の様子は違うでしょうから、
ここは、大森時代の「伊達成実」の生活を想像してみましょう。


彼は、17歳で家督を譲られた、ほぼ大名です。
伊達家には政宗という大名がいますが、成実は分家というか家臣というか地方領主というか、いろんな要素が混ざり合った立場の人です。


伊達成実の日常


まず、朝、起きます。

小姓か誰かに起こされるのか。
寝室はどんなか。
起きた後の布団というか布は誰かが片付けるのか、掃除は誰がいつするのか。


トイレは板に穴が繰り抜かれたものというが、小便も座っていたのか、男子用の便器があったのか。
江戸時代の殿様だと、小姓がおしりを拭くような話があるが、大森時代の成実はどうか。
紙で拭くのか。棒で掻き取るのか。紙ならどんな紙なのか。拭いた紙は捨てないと思うので焚付なんかに使っただろうか。和紙なら丈夫だから洗って数回使うとか?
ふんどしは寝ているときはしてなかったような気がする。
イメージだが、ふんどしは身分のある人の起きている時の服の一部ではなかろうか。


朝起きたら顔は洗ったのか。夜に洗うのか。
桶に水だとしたら、それはすでに用意があったのか。自分で汲むのか。
タオルは綿なのか。タオルなんてないのか。


歯みがきもしただろう。
塩?ただブラシで磨いただけ?


寝間着は専用があっただろうか。
単なる下着だろうか。洗うのはどの程度の頻度なんだろうか。
政宗の寝間着を愛姫が年に1度洗ったと記述があったが・・・。

そもそも寝るときの着物と起きている時の着物は同じであるが、成実クラスなら別なのか。
普段の着物は何着くらいあるのか。
例えば政宗に会いにに米沢へ行くときはちょっといい格好なのか。
泊まりの時は着替えを持って行くのか。
米沢には成実の屋敷があったのか。
寝巻きだの着物だのは誰がどこで買ってくるのか。
政宗はギンギラギンなイメージだが、成実のセンスはいかがなものだったのか。
仕立直しもあったのか。



朝ごはんはやっぱり山盛りご飯か。白米メインか、玄米メインか。日常のおかずはどのくらいあったのか。
何を食べていたのか。季節によるんだろうけれど、普段は漬物くらいかな。

成実の日常でも毒味はあっただろうか。

平常時は誰と一緒に食べたのか。
妻と?家臣と?両親と?一人?



裸足生活だから、ムレた足の匂いはなさそうだとか。


風呂は蒸し風呂が当時は一般的だったというけれど、むされた後は水で洗い流すのか。東北の冬の風呂は寒い。

こんな記事を見つけました。
http://blog.goo.ne.jp/beniya_7/e/0dc8a8aa7de5290bfe4c175f141bb93d
浜田景隆の風呂桶だという。
もし時代が正しければ、移動用とか、振る舞い風呂に使用したのかも。




などなど、考えるときりがないが、わかるようでわかんないことだらけです。
ドラマなんかでは描かれない日常の細かい部分。




大きな病もせずに79歳まで生きた、戦国の終わりに生まれた成実。
途中、戦も、地震も、政宗も、飢饉も、火事もあったけど79まで生きた成実。

覗いてみたい彼の生活。
タイムスリップするには高いところから落っこちるのが一般的だが、
おっかないしなあ・・・。






歴史

鹿と政宗

2013/11/20 Wed 03:25

先日、猟師さんが捕ったという鹿肉を分けていただき、
ポトフにして友人と美味しくいただきました。

鹿肉はヘルシーおいしーです。
脂身がないのです。

北海道ならよく、蝦夷鹿料理が食べられます。
鹿は農家にとっては害獣、駆除した鹿はどんどん食べるべきです。
鹿カレー
猟師さんが作った自家製蝦夷鹿カレー缶詰。ラベルがいい味です。中身も美味しゅうございました!



政宗も鹿狩が大好きで、ある時など、一度の狩りで鹿2,700頭捕ったと言います。



え。

どこにそんな鹿の群れが。
絶滅するし。
政宗ではなく、歴代藩主の話かもしれませんが、ともあれ鹿二千供養塚、鹿千供養塚というものが白石市にあるのだそうです。見たことない~!



またある日、七ツ森の笹倉山で鹿狩をしていた政宗だったが、一向に獲物が取れない。
腹いせに薬師如来を鉄砲で撃ち壊したという。

事実として今も薬師如来には包帯が巻かれているのだそうです。
見たことない~!


また、毎年開かれている栗原市一迫のみちのく鹿踊(ししおどり)大会、
この鹿踊は政宗も大好きだったらしいです。

見たことな~(以下略)




そして捨てるところがない鹿。
毛皮、革、肉、角、・・・内臓なんかはどうしてたのかな。モツ鍋あったのかな。
毒じゃなければ、何でも食べていたと思います。

大名は、鹿はごぼうや大根なんかと一緒に煮込んだりしていたそうです。
ポトフですね!

狩って良し、憂さ晴らしも良し、踊って良しの鹿。


そういえば、鹿の首を剥製にして床の間に置いたりはしませんね。
あれは西洋独自の文化なのかしら。

日本は敵の生首しか興味ないのかしら。
教えて、島津豊久さん!
妖怪首おいてけ





政宗の歴史

部長式須賀川観光

2013/11/19 Tue 01:09

先日の会津の帰りに途中下車して須賀川をめぐりました。

会津から電車に乗って郡山へ。ローカル線の旅は紅葉も綺麗でたのしーなー。
RIMG2051.jpg


・・・。


うそです。
爆睡してました。
予定では会津を午前中に出発して、磐梯熱海で畳敷きの露天風呂に入る予定でしたが、
そもそも会津を出発したのは1時過ぎ。

眠さに襲われ、車窓の景色もどこへやら。
郡山に着いて乗り換えにもたついてるうちに電車は行ってしまい、40分まち。
よくある話です。
驚きも騒ぎもせず、駅構内にはまったりする場所もなく、改札のお兄さんに、
「乗り換えまで時間があるので外に出てもいーですか」と、駅ビルでコーヒーを啜っておりました。

郡山の駅ビルはおしゃれです。



さて。電車で2駅、須賀川に着きました。

時刻は3時。
11月の日の暮れは早い!

急がねば、まっくらくらのすけです。



さてさて。
駅に観光客向けに無料レンタル自転車があると情報をキャッチし、早速借りに行きました。


「自転車貸してください!」
「有料だよ」
「??観光向けに無料のがあると聞いてましたが」
「!!観光するの??」


驚かれてしまいました。


平日の3時にこれから観光する人など、想定してなかったんでしょうか。
想定してください。

部長のような変な人はいるのです。



無事自転車をゲットし、まずは閉館しないうちに地元の博物館へ向かいます。


須賀川は坂の町でした。
急な坂ではないのだけれど、ドコモかしこも坂。
自転車こいで坂道はキツイ!

ここに暮らす人の足は丈夫だと確信しました!
どうりで東京オリンピックで円谷幸吉は銅メダルに輝いたわけです!
円谷の街でもある須賀川です。


で、お疲れのウルトラマンがお迎えの須賀川市立博物館。

須賀川のウルトラマン



二階堂氏の何かしらが展示されていないかと思ったのですが、
江戸時代の甲冑と陣羽織があっただけで、政宗時代の資料は展示がありませんでした。


で、須賀川といえば「松明あかし」。
訪れた数日前にやってました。見てまセン・・・。


松明あかしの起源は、輝宗の姉、すなわち政宗の伯母、阿南姫が政宗には降参しない!と、意を固め、従った家臣や住人が手に手に松明を持って集まった。
と、

言われている。

が、
単なる豊穣を願った祭がいつの間にかそういうことになったかも、と、博物館の方の説明です。
なるほど、そうかもしれません。
いつの間にか色んなモノがすり替わるのは、今も昔も同じです。


兎にも角にも。
政宗に対抗する意思で松明を持って集結した、と、江戸時代の半ばに書かれた資料によれば、場所は十日山という小高く小さな丘でした。
そこいら中、丘だらけですが、おそらくそこだろうという場所に登りました。

とうかやま


がらーん。


駐車場になってます。
なにもありません。


明治頃まではこの場所で松明あかしを開催してたといいます。


看板もないです。
間違えていたのかもしれないですね・・・。


下山。


二階堂氏の居城があった二階堂神社へ向かいます。
日が傾きかけてます。

エリアが狭いので、すぐに着きました。
自転車偉い!!


二階堂神社4


地震で色々倒壊したままの狭く小さな社があるだけの二階堂神社です。
二階堂神社3
鳥居が割れて落っこちちゃったままです。二階堂神社の石版も割れてました。

特に観光地ではないと認識されているせいなのか、はたまた敗者の遺物ゆえか、扱いが厳しいです・・・。


看板も倒壊したまま壁に立てかけてあるだけ。文字も読めず・・・。
二階堂神社1


だがしかし、やすらぎのベンチはありました。立派な観光地じゃあないですか!
二階堂神社2



城があった一帯は自転車スイスイ、平地でした。
平地に城を建てたのです。


日は傾いているが、マップを見るとすぐ近くに「上杉景勝が寄進した鳥居がある」という神炊館神社があったので行きました。


鳥居を探して奥まで進むと、「須賀川城」の遺構がありました。

須賀川城2

外堀の遺構?
須賀川城1

須賀川城、結構広いです。

その後は真っ暗になり、須賀川市民温泉に浸かり(ぬるめのぬるぬるしたお湯で、めちゃめちゃいい温泉だったよ!)
駅に戻り自転車を返却して、新宿行きの拘束バス・・・ちがう、高速バスで帰ってきました。



帰ってからこのあたりのことを調べると、
須賀川城攻めの伊達成実のポジションが明らかになりました。

雨呼口と、呼ばれるトコロです。
雨呼口 伊達成実




なんだってーーーー!
神社から温泉に行く時に通った道路です!


より大きな地図で 伊達政宗と伊達家の足跡マップ を表示


ちなみに大内定綱兄弟と片倉小十郎もいっしょだというじゃありませんか。雨呼口怖いです。
おまけに阿南姫のお墓にも行き忘れた部長です。


ううう。

盛隆とおかーちゃんをめぐる旅だったはずが。
ま、また行けばいいよね!!


ちなみに、会津にある蘆名盛隆のお墓と安らぎのベンチ。
しっとりした空気に包まれた場所でした。
蘆名盛隆墓

葦名家霊廟2


ベンチ。
それは、観光客へのオモテナシ。
誰も座らない観光ベンチの遺構が物語る、市町村のなにかしら。


この投稿の写真に全く観光の色がないけど、部長的には満足観光でしたよ~!


ではまた!
旅行記

梁川城

2013/11/16 Sat 00:11

思いもかけず、先日梁川城に出会いました。

梁川に行ったのではありません。
でも梁川城がありました!


梁川城本丸御殿です!模型ですよ!!



梁川城本丸

心字の池もありまっせ!
梁川城御殿1


馬も2頭います。
梁川城1
ひひん。


梁川城の縄張り
梁川城地図1



これらが展示してあったのは会津若松の福島県立博物館。



会津で梁川が!
意外!


そして建物が狭い!
こんなもんか!



ずーっと、政宗や成実が秀吉以前に暮らした屋敷の規模と間取りが知りたくて、誰かがストレートに「これだよ~」と、出してくれないか待ってるんですが、まだその情報はキャッチしてません。


本丸御殿が仮にこの建物だったとしましょう。
梁川城と大森城は、米沢時代の伊達家にとって重要な拠点となっていたという。
ならば大森城の御殿もこのくらいの規模だったのかしらーーーー。


成実が幼いころ梁川にある専念寺で学んでいたと以前書きました。
http://sigechannohe.blog.fc2.com/blog-entry-296.html


ちっちゃい成実も泊まっていたかもしれない梁川城。

客人はどこに泊まっていたのか、それも未だによくわからないです。
城の御殿なのか、離れたお屋敷なのか、どこかのお寺なのか。
身分によりいろいろだと思うのですが、
政宗が梁川城に立ち寄った時には本丸御殿に布団用意するのかなー。

あ、この時代布団はなかったんだっけ。


いずれにせよ、この建物の中に殿やその家族、お付きの者が住んでいたとしたら、そんなに広くはないですよね。

まだなにか、「本丸御殿」という単語に、誤解があるのかもしれないです。
江戸城みたいなものをつい、想像しちゃうと、、・・・・・。


江戸時代の天守閣の復元事業よりも、ぜひ、戦国の城と本丸御殿を復元してくださあああい!
伊達家の歴史
先日まで制作していた、
蒲生氏郷の甲冑を宅配納品し、
兜だけは、あの命のとんがりが心配だったため、手で持って行きました。


というわけで、
ようやく全てをオーダー主様にお届けできたのです。

バスで新宿から会津まで4時間半。

着いてチョットコーヒーブレイク。
適当に入った喫茶店でしたが珈琲もトーストもめっちゃうまかった・・・!


向う先は、小林写真館です。
http://kobayashi-aizu.com/


早速着付けをスタッフさんに伝授して、オーダー主がモデルとなってまずはパシャリ!

蒲生氏郷甲冑



さすが、写真館です。
部長が撮った写真の100倍カッコイイです!

胴は南蛮胴風、草摺は巨大な錦絵風。史実も時代考証もありません。

兜は燕尾兜を模倣したものです。



今後、写真館でお客様に着て頂く予定です。
会津旅行の記念に蒲生氏郷になりきって1枚いかがですか!



夜に美味しい居酒屋さん「籠太」に連れて行ってもらいました。
お酒飲めないんだけど、あまりにも会津の地酒(うっすらにごり酒)が美味しそうで、ちょっぴり頂いちゃいました。

上手くてびっくらこきました。



居酒屋の店主も歴史に詳しい方のようで、じっくり話を聞きたいんですが、なにせ超人気店。
余りたくさんは喋れなかったんですが、また行けばいいよね!


は~、会津美味しい・・・。


近場の温泉行こうと思ったけど、時間なかった!
なぜって、黒川城の隣にある県立博物館で衣装体験して遊んでいたから。
RIMG2031.jpg

見物中の子供に大人気だったよ!

蘆名盛隆めぐり(というほど巡ってない)もしてきたけど又の機会に!

甲冑
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