FC2ブログ

スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
完成しましたよ!

松平容保公の衣装です!

松平容保

こちらを幕末写真ジェネレーターで加工!
pmunwd-20140128144134.jpg

どや!
かっこいいです!





松平容保

しげ部が制作したもの

烏帽子
陣羽織
籠手
脛当
具足下着
裁付袴
毛沓
采配
尻鞘

衣装の制作のご依頼、お問い合せはしげ部まで
自作甲冑クラブしげ部


お借りしたもの
モデルさんM様


昔の写真は今の写真を単にモノクロにしても
同じような色合いにはならないのですね。

緋色の陣羽織は、本物は黒く写っていますが、カラーをモノクロにしてもグレーにしかなりません。
難しいです。


この衣装は会津の小林写真館様にて着付け写真が撮れますよ!!
http://kobayashi-aizu.com/
会津へお越しの際はぜひとも容保公になって、心から会津を堪能して下さいませ!!


スポンサーサイト
甲冑

ゲーム武将

2014/01/22 Wed 02:21

戦国BASARAの伊達政宗です。

c_l1389896866_25.jpg

胴は、あるんでしょうか。

肩に張り付いているものは籠手と袖が一体化したものだと思いますが、これでは前に腕が出せません。
前にならえ、ができません。
籠手の筒部分も内側が長すぎるため、腕を45度くらいしか曲げられません。

総大将は戦わないからこれでいいと判断したのでしょう。

脛当は長過ぎますが、まあ、いいでしょう。
臆病板がついてます。
ワラジと足袋は大丈夫そうです。

佩楯がありません。
パンツの脇にくっついたラインは実は鉄製で防御しているのかもしれません。

草摺は明らかにありません。

兜がありません。

刀が水平に保てているので、陣羽織は鋼鉄のように固い素材であり、直に固定しているのか、陣羽織には穴が開いていて、腰のベルトに固定しているのか。
だとすれば陣羽織の脱着は不可能です。

喉輪がありません。

陣羽織の後が重力に逆らって固定されているので硬い素材、革でできているのもと思われます。
これが草摺の役目を果たしているとも言えます。

007_2014012201500550b.jpg

マリーアントワネットのように一晩で白髪になりました。
毒を盛られた後遺症でしょうか。

袖の段の付け方が逆です。
刀に鞘がないので、手を切る可能性があります。

眼帯の紐が生え際から不自然に出ており、額に直に縫い付けてあるのか、もしくはかつら、いや、これは兜ですね!白い馬の毛で兜鉢を覆った兜です!白髪ではありませんでした!
兜を脱いだら、月代の頭髪が現れます。

沓は南蛮人からの贈り物と考えます。

赤い染料は高級品のため、やはり伊達家は金山を隠し持っていたと想像できます。



天正14~18年頃の米沢、小浜、会津ではこのような具足が使用されていたのです。雪の下胴など、使われてはいなかったのです。

ナウいです、伊達政宗。

未分類
先月よりチクチクと縫い続けていた衣装が完成いたしました!

陣羽織制作1

緋色の陣羽織です。


そして、目指したものは、松平容保公。

松平容保

烏帽子、采配、毛沓、袴、具足着物、籠手、脛当、
全て制作いたしました!


特に緋色の陣羽織は、文久三年正月、孝明天皇に拝謁したさいに、鎧直垂にでもせよ、といって授かった衣です。
幕末の、天皇への尊敬と徳川幕府の大事と、どちらも切り捨てることなど出来なかった殿の心情を考えると、軽々しく作るわけには行かぬ!と、一人、勝手に気を張っておりました。



容保公の写真は、個人的見解では、撮影のために「武将」らしいコスチュームを纏ったという感じがします。
籠手も腕にあっているとは思えず、大きいです。
毛沓は平安時代ころより使われていましたが、戦国時代でもすでに廃れ、幕末では、完全に今と同じく
「こんなんだったんじゃなかろうか?」といって再現したものだといいます。
それをさらに再現したのです。

籠手も大きめに作ってみました。



フェイスブックでモデルさんを募集しました。
近いうちに、写真を披露したいと思います。


なお、この衣装は前回の蒲生氏郷の甲冑と同じく、
会津の小林写真館様へ納品いたします。3月ころからスタート予定だそうです。会津へお越しの際は、ぜひ松平容保公になりきってくださいませ!


甲冑

ニュースから

2014/01/15 Wed 02:02

河北新報
仙南地域に多い名字 「小原」「半沢」由来探る
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131223t15019.htm

このニュースで
「小原姓は、約400年前に小原地区に大熊館を構えた仙台藩家臣小原宗綱が始まりとされる。三男定継は伊達政宗の実弟小次郎の守り役だった。
 小次郎と一緒に政宗に手討ちにされたが、定継の子はその後、現在の柴田町成田地区に移り住んだと記す文献があり」

と記述があります。

小原縫之助って定継という名前だっの?

そして小原家の本拠地が、ニュースソースの中にあるように、白石の大熊だとしたら七ヶ日宿街道沿いであり、
片倉の家も七ヶ日宿街道沿いの七ヶ宿町立湯原小学校近辺にあったんじゃないかという説を思い出しました。

伊達家の息子には七ヶ日宿街道沿いから傅役がやってくるのだろうか。
伊達家の歴史

甲冑教室inやまなし

2014/01/12 Sun 21:20

行ってまいりました!

山梨県は甲府市へ
甲冑教室の先生です!

今日はめちゃくちゃいい天気。
風もなく青い空に富士山と南アルプスがくっきり・・・。


写真?

ないです。


そんな時間ありません。



早めに会場入りして、山梨の主催者さんや企画の方たちと下準備をして、
無事、第1回めが終了いたしました。

写真?

ないです。


そんな時間はありません。
教えたい事がてんこ盛りですが、時間に限りが・・・・。


それでもみなさん、サクサク進めてくれたおかげで、
ギリギリ説明出来たかな?
でも中にはよくわからないまま宿題になってしまった方もおられると思います。

聞き漏らしたことやわからないことはどうぞ、連絡下さいませ。



本当はいっぱいいっぱい、皆さんとおしゃべりもしたかったんですが、
次回以降、余裕ができたら甲冑や歴史に関して、ディスカッションしたいです。


若干席に余裕がありますので、参加希望の方は下記までお問い合わせください。
いっぱいになってしまっていたらごめんなさい!
第43回 信玄公祭り協賛事業 「第1回手作り甲冑教室」開講
公益社団法人やまなし観光推進機構
055-231-2230
イベント

自分の歴史

2014/01/09 Thu 01:31

タイトルは自分の歴史ですが、
こちらの自分のことが載っかってるニュースを発見して、
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131218/ymn13121802160000-n1.htm
「お前は何が職業なんだ」
と考えた次第です。

イラストレーターはもう20年近く続けています。
人形作家は14年、
イラストがかけて、立体物が作れる。

そこへ、歴史好きから興味をもった甲冑も参入したというわけです。

きっかけは、宮城県の、政宗からロクをもらった一家である中目家の現・ご当主が開催した甲冑教室に参加したことです。面白かったのですよ。とっても。


甲冑や衣装は資料さえあれば大体の形は再現できる。
どうやって再現するのか、描いて説明ができる。


こうしてしげ部の甲冑製作キットが出来上がり、説明ができるから講師も出来る。そして今に至るのです。

しげ部とは

肩書は曖昧ですが、もの作りが仕事、です。


自分の手で出来ることをコツコツと!です。

甲冑

甲冑ラジオ?

2014/01/06 Mon 22:48

12月に募集していた信玄公祭りに参加できる、やまなし初の企画、
甲冑教室が開催となりました。

甲府市甲冑教室
記事は1月6日の山梨の新聞です。

山梨推進機構の担当者さんはPRのため、甲冑を着て地元のFMラジオに出るんだそうです。
み、見えないよ!


今からでも申し込みいただいてもぐりぐりっとねじ込みます。
参加希望の方は、下記までお問い合わせ下さい。
締めきりましたと言ってもしげ部でOKですと申しているといえば大丈夫です。



2014年 第43回 信玄公祭り協賛事業 「第1回手作り甲冑教室」開講 (軽くて丈夫、雨にも強いプラスチック素材)
甲冑教室 生徒募集のご案内
お知らせ
 | ホーム | Next »

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。