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どーよの鰻

2014/07/29 Tue 14:20

本日7月29日は土用の丑の日で何故かうなぎを食べる日です。
平賀源内がうなぎを売るキャッチコピーとして作ったのだとかなんだとか。

クリスマスには鳥、
バレンタインにはチョコレート
節分には恵方巻き
誕生日にはケーキ

定着してしまえば、理由などどうでもなんとなく、食べちゃいますからね。


さて。
うなぎを食べる歴史は古いようです。
縄文時代からあったといいます。

そこで当然気になるのが、そしたら政宗たちもうなぎを食べていたのか、ということですね。

天然うなぎは今は西日本よりも南側に分布しているような印象で、じゃあ、東北にうなぎはいないのかといえば、瑞巌寺にはうなぎ塚があります。
なんでも大正12年に松島湾で採れたうなぎを供養するため、だそうです。
少なくとも大正時代にはうなぎはいたようです。

あと、宮城県川崎町の民話に残る「大ウナギとかに」の話があります。
もうひとつネットで拾ったものですが、
娘がウナギを食べるとウナギを産む、という言い伝えも宮城県黒川郡粕川石原地区にあると。
ここは松島の上流です。このへんにいっぱいうなぎがいたんでしょうね。

娘がうなぎ~は、夜の話と絡んでいるのかしら。


などと考えつつ、
東北にもうなぎが生息していたなら、政宗たちもうなぎは食べていたような気がします。

うなぎの歴史を簡単に紹介したページ
http://majin.myhome.cx/pot-au-feu/dataroom/dish/japan/history_of_eel/history_of_eel.html
美味しかったからたべるというより、どちらかというと滋養の効果があるから食べていた、ってイメージです。

が、どうなんでしょうか。
うなぎ、食べていたの?美味しいの?どーよ!
おしえて!政宗料理研究家!

うなぎと政宗

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未分類

基本に帰る

2014/07/29 Tue 01:40

政宗を研究するなら、小林清治です。

なんという睡眠導入剤。
小林清治

ZZZZZZZ


いや、しかし、一人の人物を調べあげるために小林先生が手に取り読んだ書物はいったいいかほどなのでしょうか。
そして先生の頭のなかにあった政宗や伊達家の映像ってどんなんだったんだろう。


部長はやっぱりビジュアルとして捉えたいから、当時の街の様子とか知りたいのです。
「伊達絵巻」ってないのかしら。「伊達巻」ならあるけど。
伊達家の歴史
その2

江戸時代初期の筋兜を持参いただいたSさんは、佐竹家の家臣筋の家柄で、秋田に移封された時に置いて行かれ(自主的に残ったかも)、その後となり村が、家康軍によって撫で切りされ全滅した難を逃れて現在まで至るという、実に過去と今がつながっているなあと思わざるをえないエピソードをお持ちの方です。

惜しくも資料は今は残っていないそうです。


お持ちの兜は、ご自身で購入したものです。

六十二間筋兜 江戸時代2



とにかく筋目が綺麗です。
製鉄の技術が優れていた証拠でもあります。

政宗の甲冑は、分厚い1枚の鉄板で出来ていて、手作業だけで広い面積を綺麗に打ち出す技術は相当なものだといいます。
さっと紐解くと、会津に住む「雪の下」という鍛冶集団がいて、彼らが作ったから「雪の下胴」と呼ばれており、
また、政宗が藩士にこの具足を使うべしと命じたことにより、仙台藩特有の形になったので、「仙台胴」とも呼ばれるようになりました。


何度か書きましたが、
政宗は生涯同じパターンの甲冑を使用してます。
文化などは大いに京都から取り寄せて仙台城の大広間などに反映させているけれど、こと具足に関しては、
「京都の真似をするんじゃねえ!」と、家臣たちにも宣言しています。


なぜだ!


東北の鉄の技術を守るためだったのかもしれません。
このくらいチョチョイのチョイ(いや、苦労してると思いますが)で作る腕前を後世に残す目的もあったのでは、と考えたり。※1)

だて部では明確な答え(あるはずもないんですが)はなかったものの、一つ気になることを、Sさんの資料から紹介します。

表面は見たとおり、黒漆(と言ってもこげちゃ)です。
が、甲冑をよくご存じの方は知っていると思いますが、眉庇(帽子のつばみたいなところ)の裏には赤い漆が塗られています。
六十二間筋兜 江戸時代3
写真、ボケてます・・・。

なんでか。
資料によれば、
逆光でもはっきり見えるから朱にしている、と。

逆光?
黒よりも遠くが見やすいのかしら?
実際に実験してみるしかないですね。
裏が黒いものと赤いもので。

また、Sさんの解説によれば眉庇のうらが赤いと、その赤が顔にも反射して、高揚しているように見える効果があるんだとか。青白い顔の武将では、アイツ臆しているぞと、標的になりやすいのだそうです。

ふむ。

いろんな情報がとにかく詰まっている甲冑です。

参加者のお嬢さんたちは部長と違って、浴衣姿で御髪も艶やかです。
かぶってみる?とススメても、興味はあれど、御髪が乱れるので、と、遠慮がちです。可愛いのです。

ふふふ・・・。
女子って本来そういういきものでした。
部長の荒々しい造作など、改めるべきです。

いや、きっとこのままです。


そして、さらに続きます。
伊達家の竹に雀の家紋を調べたい!
【伊達家家紋<竹雀紋>の意匠~古今~】 小鳥沢パン
というお題です。
古今東西、s竹雀の画像をお持ちの方、いずれ出来るであろう「だて部」のHPにて、発表します。
画像をお持ちの方、①撮影地②撮影日③撮影者名④撮影したものの名前(陣羽織など)の情報を添えて、ぜひ、いつでもいいのでまずは部長宛に送ってください。
hatoyasantobu
アットマーク
yahoo.co.jp

まで!

さらには支倉常長が持ち帰ったローマ市公民権証書に、鉛筆でアンダーラインが引いてある箇所があり、
果たして政宗の仕業か、のちの学芸員の仕業か。
という質問です。ご存じの方おりますでしょうか。


もう一つ
【こんな気持ちで逢いに行く~史跡<瑞鳳殿>編】 磯部深雪
なぜ歴史が好きになると旅行に行きたくなるのか。それはそこに実際に生きた人達の息遣いを感じるから。同じ景色を見ることができるから。
仙台藩祖伊達政宗公が実際に眠る「瑞鳳殿」は正に“逢いに行く”という言葉そのままの場所。その最後の場所から順番に辿ります。

場所・季節・時間も合わせてその土地に立ち、同じものを見に行きたい。

というストレートな思いを語り、第一回は終了いたしました。


そうです、磯辺の発言は正に部長も同じ思いで、ブログのタイトルとおり、伊達成実の足後を追って、なのでありますよ!

いずれはみんなで、現地で「だて部」開催もいいですね~。


といったわけで、短い時間ではありましたが、
なかなかバラエティにとんだ面白いテーマでした。

伊達家のことしか語らないけど、そのためには広く視野を持っておかねばなりません。基礎知識がないと、表面に書かれたこと以外のナニも見えてこないということです。当たり前ですね。

深い!
深いぞ!

資料がありすぎて誰も1冊にまとめられない伊達家の色々。
なんだってこんなに資料が残っているのか、その事自体も研究の対象になりうるという。

尿の色までわかってしまう藩主が他におりましょうか。
(自分の健康状態を、医者に手紙で知らせて薬を処方してもらう政宗)
いるのかな。やはり比較は必要です。


語り尽くせぬ政宗とその周り、面白いなあ・・・・・・・・・。


追記
※1)と、思ったんですが当時は普通にたくさん作っていたのでそんなことは考えなくても自然と受け継がれているという至極まっとうな意見をネットから頂戴いたしました。本当だ、今普通に使っているものならば特に後世に残そうとは思わないですね。危機的になればそういう思想が出る。なるほど、全くその通り。目線が、甲冑がなくなった今の目線でした!
まだまだ修行が足りません!

といった、ツッコミもお待ちしております!

だて部
先日、なんとか第一回「だて部」が開催、そして終了いたしました。

なかなか雑多になってしまい、上手くまとまりがつかなかったのは部長の采配具合のせいです。
次回はもう少し、全員に話が回るように改善したいと思います。キリッ!


とはいえ大きな収穫がありました。

まず、部長がお題に出したのが
「伊達家と経済活動」

という、実に偉そうなタイトルです。

「政宗と地域経済」 昔から日本はもとよりアジア含め流通が盛んである。
さらにヨーロッパからも流通が始まった。
全国各地に金持ちの商売人がいっぱいいたはずだ。
そして彼らも戦闘要員でもある。伊達家家臣の鈴木元信など。
政宗、その配下にある商売をしていない支配層の仕事は領地内からの徴税。

疑問 
・伊達家領内の産業って何?(米沢期に限る) ・武将よりも金を持っていた?
・商家のある地域(どこだろう)での市街戦は行われていない?

こんな視点から、
商人>武将という構図はあったのか? 皆の意見を交えてみたい。



こんなお硬い感じですが、絵にするとこうです。
10565998_549390128499284_786149971_n.jpg


これに対する意見として、
伊達領としての税収(収入)と、伊達政宗個人の財布がまず違う。

なんと!違うのか!

そこで出たわかりやすい喩えとして、
「伊達株式会社の社長個人の財産と、会社の財産」がある。メゴ嫁になにか買うのは政宗の財布だろうし、城の普請などは会社のお金。

とはいえ、各地ではこういったお金の配分は微妙に違います。
そっくり、伊達家に当てはまるとは言いがたい。


また、全ての商家が伊達家に税を支払っていたわけではない。
(とはいえ、各地ではこういったお金の配分は微妙に違います。
そっくり、伊達家に当てはまるとは以下略。)

なんと!!

そうなのか、そうなんですか?

商人が自衛として、武士団を結成していたのかという他者からの問いかけにも、
そういえばそういう話はきいたことがないなあ、としか答えられない部長です。


商家を焼かれては政宗自体も困るから、市街地戦はやらなかった、故に基本、戦は人気の少ない場所や山城で戦ったのでは?という問いかけには、
「そうとも限らない。勝ったら自国の領地になるのをわかっていながら、わざと作物を荒らしているのは、
この負け組領主のもとにいたらこういう目に合うんだぞ、守ってくれない領主に意味があるのか、オレについてこい」的な
パフォーマンスも含まれていたという解説。

たしかに、田畑を荒らす行為はよくドラマなどでありますね。


また、当時の米沢の人口などからも、商家や畑作などの様子がわかるんじゃないかというヒントを得て、
そういえば、岩出山から仙台にまるっと町人を移しています。

岩出山から移された町人はもともと米沢から移転してきた人たちもかなり含まれているとすれば、おおよその推測は可能なのでは!
わざわざ連れて行った職業というのが、キーになる。

それこそが政宗が必要としていた職業集団じゃあないですか!
領地運営、経済に重要な集団だっとのでは、と、考えることが出来ます。


と言った具合に、部長のお題に対して明確な答えはありませんが、以外な角度から気がつく「事実」が浮かびました。


これです!
これがしたかったのです!

宿題が出ました。
さて、皆様はどう思いますか?



今回ほとんどを導いてくれたのは、伊達家そのものよりも戦国事情全体に詳しいライターさん、樋口さんによります。
他の武将と比較することで、政宗の面白さが浮き彫りになる、とも。



そして、武具甲冑に詳しいSさんが、なんと江戸初期の62間筋兜を持参しての参加です!
すごいーー!
「かぶっても大丈夫ですよ」、と、ウルトラ親切なSさん。
迷わず、かぶらせていただきました。

六十二間筋兜 江戸時代
部長、嬉しそうですね。

そして重いです!
思いの外重いです!

関東以北でしか作られていなかった筋兜、いや!見事です。
具足関連に関しての発言も出ましたが、長くなるのでまた次回に書きます!


まずは、ご参加いただいた皆様、ありがとうございます!

初心者ゆえ、話に置いてけぼりになってしまった方々へのフォローも考えつつ、
しかし濃い突っ込んだ話もしたいし、それをわかりやすく興味が持ちやすい形で後世に残したい、そのための「だて部」でもあリマス。
色々課題も見える中、次回へと続くのでした。

そんなこんなな、「だて部」、意見、資料をお持ちの方、互いのお知恵拝借し、意見を交わしたく存じます。
今後もよろしくお願い致します。

「だて部」部長 たかせひとみ

「だて部」運営
磯部深雪
小鳥沢パン
たかせひとみ
だて部

成実記の原本

2014/07/25 Fri 17:11

現在、政宗を知る上で、重要な位置づけにある資料が

「成実記」です。


そうです、タイトルまんま、成実が書いた伊達政宗関連の記録です。

現在資料として読めるものなどは書き写しで、原本の存在が定かではありません。


書き写した際に、当時の伊達藩にとって都合の悪い箇所は抹消、捏造、言い方を変えるなどの作業が少なからず行われていたと思います。

ってことは、原本は証拠隠滅で燃やしたのかといえば、それはなさそうです。
憶測ですが、貴重な当時の記録(しかも藩祖)を簡単に破棄したりはしないでしょう。

でも容易に閲覧できる状況にはしない、
例えばお母さんに見つからないようにエロビデオをカバーだけ普通の映画にしておくなど(バレバレだがな)、といったことはないのか?

表紙を差し替えて、わからないように保存しているってことはないんでしょうか。


古くからのおうちに暮らしていらっしゃる方、
蔵に眠っている紙資料、捨てちゃダメよ!!!
なんだったら部長がもらいに伺います。(読めないけど)
歴史

胞衣

2014/07/23 Wed 00:37

先日、「日本の歴史を読みなおす」網野善彦
という本を読みまして、いや、まだ読み終わってはないんですが・・・。


興味のあるところだけを、ざっくり噛み砕くと、西日本と東日本は平安以降違う文化をたどっているのではなかろうか、という印象です。

気になったのが「胞衣」の扱いに関する記述です。

胞衣とは、えな、と読み、ま、胎盤です。

出産時に出た胎盤を、かつては胞衣壺に入れて大事に埋められたようですが、
西日本はこれを「穢れ」の一種(ばっちいものとかそういう意味ではないので、くわしくは本を読んでね!)として遠ざけて埋め、東日本ではなるべく人が踏める戸口や辻に埋めたというのです。

軽くぐぐってみると、景勝の誕生の地、樺沢城には胞衣壺を収めた胞衣塚があったりしています。

では政宗の胞衣壺はどこに??


これが見つかったら、そこが政宗誕生の場所、ということにはならないかしら~~~。
すでに見つかっていたら、勉強不足が露見しますが、ここは素直に教えてくださいと頭を垂れる部長です。
歴史
すいません、またしても歴史とは無関係な記事ですが、
お困りの方がいるんじゃあなかろうかと、記録を残しておきます。


しげ部ではホームページも自分で1から作って管理しています。
これですね。
自作甲冑クラブしげ部


そして前回の記事でお伝えしたとおり、しげ部はもうひとつの世界を持っています。
それが人形作家というものです。
ホームページはこちら!
たかせひとみ人形博物館


どちらもホームページ制作ソフト、ドリームウィーバーCS4を使ってますが、
なぜかYouTubeの動画の埋め込みが出来ない。

ぐぐっても、
同じことしか書いていない。
そう、
埋込したいYouTubeのページにある「共有」をクリック、
「埋め込みコード」をクリック、
そして出てきた<iframe width="640" height="480" src="//www.youtube-nocookie.coうんぬんの文字をコピペで貼り付けるだけなんです。

hozonn1.jpg


ブログは出来ます。
ほーら、貼り付けられますね!
良かったらついでに動画も見てくださいね。(ステマ)



ブログは出来る。
しかし、何故かドリームウィーバーCS4では出来ない。

なぜだ、なぜなんだ!!


そして出来ました。


それはアドレスに注目!
hozon2.jpg

そうです。

ど頭にhttpがないのです。
そこで記述にhttpを足してみました。
キャプチャ1


無事、ネット上で表示され動きました!


一体どういう仕様なのかは不明ですが、どうしても出来ない方、お試しください。
他の事やバージョン違いなどは、全くわかりませんので、質問はご容赦くださいね。
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