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先日のだて部での話しです。

成実は秀吉からどう思われていたのか。
これはずっと気になっていたことであります。


秀吉による奥州仕置のさいに、
石川昭光は政宗支配下にあったのに、大名とみなして所領を召し上げられている。
では成実は?

二本松城主ではあるが、秀吉目線からは「アレは大名にあらず」
政宗の配下の一人ということで、政宗の領地として二本松も召し上げられます。


とくに成実が独立大名であったという記録や描き方はどこにもないんですが、
小十郎うあ綱元と同じラインの立ち位置ではない。
が、大名でもない。
という、非常に位置づけしづらい人物です。


政宗からしてみれば、手紙から見て取れるように、
小十郎に対しては仮名書で、名前も「片小」略するなど身内のような扱いであるのに対し、
成実には漢文で、必ず「五郎殿」というふうに「殿」を付けて、礼を尽くしている。
単なる家臣でないことはこの時点では明確だが、

だが。


留守政景や国分盛重のように明確な領主ではない。


だが。


代々伊達家の兄弟は伊達の苗字を与えず、遠くへと切り離したのだが、
すったもんだの実元だけは、なぜか伊達性のまま伊達家に仕えることになってしまうという、ややこしさよ。
これも単純に家臣ではなく、自由な軍事行動が取れることから、独立した地方領主の体でもあって。

その息子も伊達性のまま、大森城に居るんです。



そして今までの定説を、ひっくり返される事がありました。
それは、秀吉が小十郎に三春3万石を与えて、政宗から小十郎を引き剥がして伊達家の弱体化を測った、という話がなんとなく流れています。

そもそもこれは大きな間違いだというのです。

伊達家の弱体化を測るのではなく、
能力のある小十郎にきちんとした地位を与えて、屋敷を与えて、体裁を整えさせて後、軍役を取る構えだったというのです。


なんと!



そして、成実には声がかかっていない。


しげちゃんは、秀吉にしてみればいらんかったんかい!!!!




そして出奔。



この出奔他家に比べたらヌルヌルで、「成実、部活やめたってよ」程度の事件かも、という。
映画「霧島、部活やめるってよ」は名作です。
神木隆之介がかわいくてねえ・・・。







成実は綱元のように伊達家の政治には関わっていないようだし、
かといって政宗からしてみれば重要な人物であることに生涯変わりはないようだし。

とにかく、今言われている歴史の事件の理由を全て排除して、
起こったことと、当時の政治状況を照らしあわせて考えてみるとなにか見えるのか、
節穴部長が全て見過ごすのか、
そもそも政治状況が勉強できるのかが一番の課題。

立派な本を借りると眠たくなって、寝てしまう部長です。






成実

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